|
バルティモラ(Baltimora)は、1980年代半ばに活躍した、イタリアのイタロ・ディスコ・ダンス音楽グループ 。フロントマンでボーカルのジミー・マクシェイン(Jimmy McShane)、キーボードでボーカルのマウリツィオ・バッシ(Maurizio Bassi)、リードギターのジョルジョ・コチロヴォ(Giorgio Cocilovo)、リズムギターのクラウディオ・バツァーリ(Claudio Bazzari)、ベースのピエル・ミケラッティ(Pier Michelatti)、ドラムのガブリエレ・メロッティ(Gabriele Melotti)がメンバーだった。最も有名な作品は1985年に英米でもヒットしたシングル「ターザン・ボーイ (Tarzan Boy)」である。 北アイルランド・ロンドンデリー出身のジミー・マクシェインは、フロントマンとしてバンドの前面に立っていたが、実際にリード・ボーカルを歌っていたのはキーボードのマウリツィオ・バッシで、マクシェインはバッキング・ボーカルを担当していた。これは彼らの最大のヒット曲である「ターザン・ボーイ」においても当てはまり、ビデオにはバッシではなくマクシェインが登場してリップシンクをしている〔See "Epilogue" section. ''euro-flash.com,'' 2004.〕。バルティモラの楽曲は、曲詞ともほとんどがバッシとネイミー・ハケット(Naimy Hackett)によって手がけられていたが、「Survivor in Love」など一部の曲ではマクシェインが詞を書いていた。 「ターザン・ボーイ」の成功が飛び抜けて大きかったため、バルティモラは英米では「ターザン・ボーイ」の一発屋として扱われることが多いが、ヨーロッパの一部の国々においては他にもヒット曲があった。 ==経歴== ===初期=== 1984年のはじめ、イタリアでミュージシャンとしての実績があった音楽プロデューサー、マウリツィオ・バッシは、新しいプロジェクトを構想していた。バッシは、ゲイ・コミュニティで「ルビー」という通り名で知られていたアイルランド赤十字の救急救命士、ジミー・マクシェイン(1957年5月23日-1995年3月29日)と知り合い、容姿がよくダンスの才にも恵まれていたマクシェインに少しボーカルをさせて、グループのフロントマンに据えることにした。当時のマクシェインは、髪型を様々に変えることや、大きな赤い縁の眼鏡でよく知られていた。 バッシは、他のミュージシャンたちも雇い入れて、後にアルバム「''Living in the Background''」と「''Survivor in Love''」に収録される曲を録音していった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バルティモラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|