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ボルネオの戦い(ボルネオのたたかい)は、太平洋戦争中に、日本軍の守るボルネオ島と付属島嶼へ、オーストラリア軍を主力とした連合軍が侵攻して起きた戦い。連合軍が勝利したが、戦略的に大きな影響はなかった。 == 背景 == ボルネオ島は、北西部がイギリス領、南部から東部がオランダ領であったが、いずれも日本軍によって占領されていた。オランダ領のバリクパパンやサンダカン、イギリス領のミリなどには油田があり、日本にとって重要な資源地帯となった。しかし、連合軍のフィリピン反攻が進み、シーレーンが遮断されたために日本本土への資源輸送は不可能となっていた。ブルネイ湾は重要な海軍泊地だったが、すでに利用する艦隊は残っていなかった。 日本軍は、旧イギリス領は陸軍、旧オランダ領は海軍の主担当地区として防備と軍政を分担していた。守備隊として第37軍(司令官:馬場正郎中将)の独立混成第56旅団と同第71旅団、独立混成第25連隊を配置していたが、うち独混71旅団は編成途上で人員も装備も訓練も不足していた。海軍の守備の主力は第22特別根拠地隊(司令官:鎌田道章中将)であった。 連合軍は、オランダ領東インドの奪還を目指すオーボエ作戦(Operation "OBOE")の一環として、ボルネオ侵攻を計画した。これにはブルネイ湾にイギリス太平洋艦隊の泊地を置くこと、及び油田を奪還することという戦略目的があった。タラカン島に対するオーボエ1号作戦、バリクパパンに対するオーボエ2号作戦、ブルネイ湾・ラブアン島に対するオーボエ6号作戦からなり、地上戦にはオーストラリア軍から第1軍団(軍団長:レスリー・モースヘッド(Leslie Morshead)中将)の第7師団と第9師団が主力として投入されることになった〔残りのオーボエ3号-5号作戦はボルネオ島南部のバンジャルマシンやジャワ島などに対するもので、終戦までに実行されなかった。〕。この点、ブルネイ湾を基地化するのは戦争資源の浪費であり、日本側シーレーンは遮断されているのだから上陸に戦略的価値が無いとの批判があった。特にドイツ降伏後にはバリクパパンへの第7師団投入は中止することも検討されたが、計画通りに実行された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボルネオの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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