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ボンダリ ( リダイレクト:李鳳柱 ) : ウィキペディア日本語版
李鳳柱[い ぼんじゅ]

李鳳柱(イ・ボンジュ、1970年10月11日 - )は、大韓民国の元陸上競技男子マラソン選手。サムスン電子の陸上チームに所属していた。
== 経歴 ==
元々は市民ランナーの出。1993年ホノルルマラソンの優勝で頭角を現し、1994年ボストンマラソンで2時間10分を突破した。当時の韓国は有力なマラソン選手が何人もいた活況の時期だったが、1995年、1996年の東亜国際マラソンでの活躍で自身の地位を確かにし、五輪切符をつかむ。
1996年アトランタオリンピックの男子マラソンでは、優勝したジョサイア・チュグワネ南アフリカ共和国)に次いでわずか3秒差の2位でゴール、銀メダルを獲得する。前回のバルセロナオリンピック金メダル獲得の黄永祚に続き、2大会連続で同国による男子マラソンのメダル獲得を達成した。また、アジア競技大会においても1998年バンコク大会、地元で開催された2002年プサン大会で2連覇を達成した。さらにメジャーマラソンでは1996年福岡国際マラソン2001年ボストンマラソンでも優勝した。
韓国国内では「ボンダリ」の愛称で国民的なマラソン選手として親しまれ、国内記録(2時間7分20秒)を現在でも保持しているアジアを代表する男子マラソン選手の一人であった。
2006年5月、11月のニューヨークシティマラソンを競技の一線を退くことが明らかになったが、その後引退を撤回。2007年大阪市で開催される世界陸上選手権を回避して、2008年に五輪4大会連続代表となる北京オリンピックへの出場を果たした。しかし完走はしたものの、28位に終わった。
2009年10月に、母国の大田市で行われた、第90回全国体育大会の男子マラソンを最後に引退。結果は2時間15分台ながらも1位でゴール、有終の美を飾った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「李鳳柱」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lee Bong-ju 」があります。




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