|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
土谷 正実(つちや まさみ、1965年1月6日 - )は元オウム真理教幹部。東京都出身。筑波大学大学院化学研究科修士課程修了。有機物理化学を専攻。ホーリーネームはクシティガルバ。 1994年7月に教団に省庁制が採用された後は「厚生省次官」だったが、同年12月には厚生省を二分して「第二厚生省大臣」となった(メディア等では「化学班キャップ」と呼んでいた)。また、サリンやVXガスの生成、LSDの合成における中心人物でもあり、中川智正や遠藤誠一らとともに教団での薬物密造に関与していた。 作家の大石圭とは幼馴染であり、死刑確定後、手紙のやり取りを行っていた〔。 == 学生時代 == 東京都立狛江高等学校から筑波大学第二学群農林学類へ進学。卒業後は同大学院化学研究科へ進学。オウム主催の超能力セミナーに参加したことをきっかけに修士課程2年の1989年4月に入信。 修士論文は「片道異性化に関する研究」であった。その後、博士課程に進んだがオウムの修行を優先させ中退した。 入信に反対の立場をとっていた両親は1990年7月19日、合田正の主宰する茨城県所在の「仏蓮宗」に土谷を監禁してオウムから脱会させることを計画し成功。しばらくの監禁により一旦はマインドコントロールは解けたかに見えた。オウム側は町田市の土谷の実家を盗聴して居場所を突き止めた上、中村昇・井上嘉浩・青山吉伸・林泰男(小池泰男)らが仏蓮宗に街宣車まで動員し連日押しかけて土谷の解放を求め、教団顧問弁護士でもある青山の名で人身保護請求を申し立てた。8月25日には翌日に予定されていた人身保護請求の裁判に備えて両親や仏蓮宗関係者らとともに都内のホテルに宿泊していたが、夜中に抜け出し、オウム真理教富士山総本部に身を隠してそのまま出家した。同じく松本サリン事件に関与し、死刑が確定した端本悟は高校時代の後輩でもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土谷正実」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|