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ポインター・シスターズ(Pointer Sisters)はポインター姉妹からなるアメリカのコーラス・グループ。 == 概要 == カリフォルニア州オークランド出身。ルース(Ruth、1946年3月19日-)、アニタ(Anita、1948年1月23日-)、ボニー(Bonnie、1951年7月11日-)、ジューン(June、1953年11月30日-2006年4月11日)の四姉妹は幼い頃からゴスペルに親しみ、聖歌隊で歌い始める。 1971年にアトランティック・レコードと契約したときは、アニタ、ボニー、ジューンの3人組だった。1972年12月、ルースが加入し4人組となったシスターズはロサンゼルスに渡りブルー・サム・レコードに移籍。1973年2月に発売された「イエス・ウィ・キャン・キャン」(アラン・トゥーサンの作)はビルボードのポップチャートで11位を記録するヒットとなった〔Music: Top 100 Songs | Billboard Hot 100 Chart | THE WEEK OF OCTOBER 13, 1973 〕〔Music: Top 100 Songs | Billboard Hot 100 Chart | THE WEEK OF OCTOBER 20, 1973 〕。 ノスタルジックなジャズやカントリーのスタイルで、1975年には「フェアリーテイル」でグラミー賞の最優秀カントリーボーカルグループ賞を受賞した。その後はR&Bやディスコ系に方向性を模索しつつ、1977年にはボニーがソロ転向のため脱退、三人組となる。 その後も「ファイアー」、「スロウ・ハンド」などのヒットを放つ。1984年には流行のダンサブルなサウンドで4曲のトップ10ヒットを放ち、グラミー賞で2部門を獲得するなど、キャリアの絶頂を極めた。1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドのコーラスを担当。1990年代以降は表舞台から遠ざかったが、1996年のアトランタオリンピックの閉会式で歌を披露している。2006年、ジューンが癌のため死去。2009年からはルースの孫のサダコ (Sadako Ruth Pointer Johnson、1984-、母親が日本人) が加わって活動している。 なおポインター家の長兄・アーロンは元プロ野球選手で、日本でも西鉄ライオンズでのプレー経験がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポインター・シスターズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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