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ポウル・スミス(Paul Smith、男性、1982年10月6日 - )は、イギリスのプロボクサー。リヴァプール出身。副業として地元リヴァプールのクラブの専属ディスクジョッキーとして活動している。 == 来歴 == 2003年4月5日、プロデビューを果たし4回40-36の判定勝ちで白星でデビューを飾った。 無敗をキープして2006年10月14日、デアン・ウォルカーとBBBofC中部ミドル級王座決定戦を行い3回2分49秒TKO勝ちで王座獲得に成功した。 2007年3月10日、アレクサンダー・ポリッジとWBUインターナショナルミドル級王座決定戦を行い8回TKO勝ちで王座獲得に成功した。 2008年3月8日、セッロ・レンダとBBBofCイングランドミドル級王座決定戦を行い6回1分55秒TKO勝ちで王座獲得に成功した。 2008年6月21日、ステベン・ベンダールと対戦し10回94-96の判定負けでキャリア初黒星を喫し初防衛に失敗し王座から陥落した。 2009年3月14日、ラシード・マツミラとWBAインターナショナルスーパーミドル級王座決定戦を行い2回2分35秒TKO勝ちで王座獲得に成功した。 2009年10月30日、地元リヴァプールでBBBofC英国スーパーミドル級王者トニー・クイグリーと対戦し12回2-1(114-116、116-113、116-112)の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。 2010年3月12日、トニー・ドーソンと対戦し12回3-0(117-112、116-111、115-112)の判定勝ちで初防衛に成功した。 2010年12月11日、ジェームス・デゲールと対戦しスミス初のKO負けとなる9回2分8秒TKO負けで2度目の防衛に失敗し王座から陥落した。 2011年11月5日、ロンドンのウェンブリー・アリーナでBBBofC英国・コモンウェルスイギリス連邦スーパーミドル級王者ジョージ・グローブスと対戦し、2回2分18秒TKO負けを喫しBBBofC英国王座へ返り咲き、コモンウェルスイギリス連邦王座獲得に失敗した。 2013年6月29日、トニー・ドーソンとBBBofC英国スーパーミドル級王座決定戦を行い6回2分31秒TKO勝ちで王座返り咲きに成功した。 2014年9月27日、ドイツ・キールのスパルカッセン・アレーナでWBO世界スーパーミドル級王者アルツール・アブラハムと対戦するが、12回0-3(2者が111-117、109-119)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した〔 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年9月28日〕。試合後にポウル・スミスがジャッジの判定を不服としてダイレトクリマッチを要求しWBOに提訴するが、WBOは特に119-109の点差が開きすぎなのは問題であるが、勝敗は判定の通りとして却下した。 2015年2月21日、ドイツ・ベルリンのO2アリーナでアルツール・アブラハムとダイレクトリマッチで再戦するが、12回0-3(2者が112-116、112-117)の判定負けを喫し2連敗となった〔アブラハム今度は明白決着、スミスを返り討ち Boxing News(ボクシングニュース) 2015年2月22日〕。 2015年6月20日、アメリカ・オークランドのオラクル・アリーナでアンドレ・ウォードとスーパーミドル級の規程体重である168ポンドを4ポンド上回る172ポンドのキャッチウェイトで試合を行う予定だったが、前日計量でウォードが171.8ポンド(77.92キロ)を計測したのに対しスミスが176.4ポンド(80.01キロ)を計測し4.4ポンドの体重超過があった為、スミスはファイトマネーから45,000ドルの罰金を支払い、さらに試合当日の朝にも再度計量を行って増量を181ポンドまでに抑えることに同意したが試合当日の朝に行った計量でもスミスは184.4ポンドを計測してまたしても体重を超過し、さらに罰金を15,000ドル支払って試合を行い、9回にスミス陣営からタオルが投入され、9回1分46秒TKO負けを喫した〔Mega Gallery: Ward dominates and stops Smith WBA公式サイト 2015年6月21日〕〔IBFミドル級はルミューが新王者、海外試合結果 Boxing News(ボクシングニュース) 2015年6月21日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポウル・スミス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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