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ポエニ戦争(ポエニせんそう、)とは、共和政ローマとカルタゴとの間で地中海の覇権を賭けて争われた一連の戦争である。ポエニとは、ラテン語でフェニキア人(カルタゴはフェニキア系国家)を意味する。紀元前264年のローマ軍によるシチリア島上陸から、紀元前146年のカルタゴ滅亡まで3度にわたる戦争が繰り広げられた。 == 第一次ポエニ戦争 == 紀元前264年から紀元前241年。シチリア島をめぐる一連の戦闘と海戦が焦点となる。 紀元前264年当時、シチリア島は西半分をカルタゴが押さえ、東半分がギリシア人勢力のシラクサ・メッシーナ領に属していた。シチリア島のメッシーナを抑えていた傭兵隊マメルティニに対して、シラクサのヒエロンがカルタゴと結んで討伐にかかり、メッシーナがローマに救援を求めた。このことがポエニ戦争の直接の原因である。 同盟関係にあったローマは援軍を派遣。シラクサはローマに撃破され、同盟国となるが、危機感を覚えたカルタゴは4万の軍勢をシチリアへ送る。カルタゴはアグリジェント、ハミルカル・バルカ将軍を前線にローマと戦うが、ローマは3万の軍を派遣し、アグリジェントは陥落。アグリジェントを制圧したローマ軍は、25000人もの住民を全て奴隷として売り払う。アグリジェント陥落が、ローマとカルタゴの全面戦争へと繋がる。 陸戦では諸都市を攻略していたローマだが、海軍を持たないローマはカルタゴの補給線を絶つことができなかった。ローマはギリシア移民の多い同盟諸国から軍船を供出してもらい、更に「カラス」と呼ばれる桟橋を用いて敵の船に乗り込む戦術によって海戦を歩兵同士の戦いに変え、カルタゴ海軍を撃破する。 カルタゴ軍を撃破したローマ軍はアフリカへ上陸し、都市カルタゴの近くにあるチュニスで冬営する。カルタゴ側は和平を提示するが交渉は決裂し、カルタゴはスパルタ人の傭兵隊長クサンティッポを雇い、ローマに会戦を挑む。ローマ軍は友軍の到着も待たずに会戦に臨み大敗北を喫する。執政官アティリウス・レグルスは、アフリカ侵攻を諦めるが、撤退の最中に海難事故に逢い、6万の兵を失う。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポエニ戦争」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Punic Wars 」があります。 スポンサード リンク
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