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ポスフール(Posful)は、かつて北海道で展開していた総合スーパー(GMS)である。 企業名としてのポスフールは2002年(平成14年)1月から〔“ポスフール、上期中に店舗名も「ポスフール」に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年1月14日)〕2007年(平成19年)8月20日まで使用され〔川崎博之 (2007年10月19日). “新生イオン九州とイオン北海道、帳合変更に温度差”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社)〕、店舗名としてのポスフールは2002年(平成14年)から2011年(平成23年)2月28日まで使用されていた〔“ポスフールもジャスコもイオンに 3月1日から名称統一”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2011年2月16日)〕。 2007年(平成19年)8月21日に企業名はイオン北海道に商号変更され〔、イオングループの店舗名統一により2011年(平成23年)3月1日にジャスコとサティと共にイオンへ転換され約9年で屋号自体が完全に消滅した〔。 本項では、前身のホクホーおよび北海道地区のニチイ・サティについても記述する。 == 歴史・概要 == === 創業から生活百貨店・サティの展開へ === 1971年(昭和46年)に大川祐一が北海道後志管内の余市町に衣料百貨店「ヤマダイ」を設立して〔“ポスフール創業、大川会長を解任 健康上の理由で”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年3月28日)〕1980年(昭和55年)3月〔“北海道食品産業特集 近未来を占う=マイカル北海道・大川祐一代表取締役”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1996年7月30日)〕 に他の地場スーパー3社と合併して〔株式会社北峯百貨店〔株式会社ポスフール 第28期有価証券報告書. ポスフール. (2006年5月30日).〕を設立して後に「株式会社ホクホー」となり〔、1978年(昭和53年)4月に設立された「株式会社北海道ニチイ」が1992年(平成4年)3月1日に「株式会社ホクホー」を合併し〔、1996年(平成8年)7月に「株式会社マイカル北海道」に社名変更した〔〔。 経営統合以前から当時の「ニチイ」が進めていた総合スーパーよりも百貨店に近い性格の生活百貨店・サティ業態〔“流通の旗手は今 検証・北海道現象 中 デフレの風の中で マイカル北海道、ラルズ、北雄ラッキー、北海道西友”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2001年8月8日)〕で出店を行っており、1990年(平成2年)10月27日に株式会社ホクホーが北海道最初のサティとして永山サティを開店していたほか〔“若者向けの郊外百貨店 永山サティあす開業”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年10月26日)〕、旧北海道ニチイも1991年(平成3年)4月に「東苗穂サティ」を開店していた〔。 合併直後に大川祐一が開いた「ヤマダイ」をルーツとする〔「ニチイ余市店」を移転・拡張する形で1992年(平成4年)10月30日には「余市サティ」を開店し〔“北海道ニチイ、「ニチイ余市店」を移転・拡張「余市サティ」に新生10月30日オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年10月26日)〕、1994年(平成6年)10月21日に「ニチイ釧路店」を「釧路サティ」に改称して新装開業して〔年商100億円を達成し〔“マイカル北海道、「江別サティ」開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年11月12日)〕、1996年(平成8年)には3月に「ニチイ千歳ファミリーデパート」を大幅増床して「千歳サティ」に改称して新装開店した〔“ちとせデパート破産 負債46億円 大型店との競合響く”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1999年1月30日)〕のを皮切りに、春光サティ、岩内サティ、厚岸サティ、手稲サティ、紋別サティと相次いで業態転換を行って増収増益に繋げ〔“マイカル北海道、サティ転換で連続増収増益に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年4月23日)〕、1996年(平成8年)9月19日に株式の店頭公開を果たした〔“北海道特集 トップインタビュー マイカル北海道・大川 祐一社長”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1996年9月27日)〕。 これらの業態転換店舗の中でも「釧路サティ」と「千歳サティ」は年商100億円を上げるなど順調に売上を伸ばしたため、1997年(平成9年)11月1日に「ニチイ江別店」の隣接地に新店舗を建設して〔“マイカル北海道、「江別サティ」建設進む”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年10月8日)〕シネコン(複合映画館)のワーナー・マイカル・シネマズを北海道で初めて併設した〔“ワーナーマイカル、マイカル・シネマズ江別を開設”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年11月10日)〕「江別サティ」を開店して両店に続く年商100億円を目指し〔、1998年(平成10年)3月12日に「ニチイ帯広店」を「帯広サティ」に業態転換して十勝圏最大のショッピングセンターとして〔“マイカル北海道、「帯広サティ」開店 十勝圏に競合波及”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年3月16日)〕有力ブランドも導入して百貨店レベルの顧客にも対応させて〔直営部分の年商125億円を目指す基幹店舗として新装開店する〔など生活百貨店・サティへの業態転換を進めて1999年(平成11年)2月期に北海道の小売業としては初めて年商1,000億円を突破し〔、1999年(平成11年)10月8日に「ニチイ大谷地店」を増床し「大谷地サティ」に業態転換して新装開業したことにより全店舗のサティへの業態転換が終了〔“マイカル北海道、「大谷地」開店で全道サティ化完了”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1999年10月18日)〕。 また、1999年(平成11年)3月11日にはマイカルグループの複合型大型商業施設マイカルタウンの一つとして開業した「マイカル小樽6番街」に「小樽サティ」を開店させ〔“「マイカル小樽」500億円目指し好調滑り出し”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年3月19日)〕、2000年(平成12年)9月15日にはシネマコンプレックスの「ワーナーマイカル」を併設すると共に〔“マイカル北海道、「北見サティ」開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2000年9月29日)〕〔“北見サティ開業 “巨艦”ついに船出 記念セールに客続々 家電やブランド品に行列”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2000年9月16日)〕有力ブランドを導入した〔「北見サティ」を開店し〔〔、2000年(平成12年)11月30日には釧路サティをシネマコンプレックスも併設する〔釧路市地域史研究会 『釧路市統合年表:釧路市・阿寒町・音別町合併1周年記念』 釧路市 、2006年10月。〕と共に店舗面積を1.6倍の約30,000m²に増床して若い女性に人気の衣料ブランドなども有力ブランドを次々と導入して2000年(平成12年)2月期の直営部分の売上高約130.5億円を更に伸ばして百貨店も含む大型小売店の「地域一番店」として競合他店の追撃を許さない弱点の見つけにくい売り場をつくり上げたほか〔、同じ地方中核都市の帯広でも同様の店舗を展開して業績を伸ばした〔。 こうした生活百貨店化戦略を展開して業績を伸ばして〔“取材手帖=マイカル北海道・大川社長「価格だけでは・・・」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年5月31日)〕6期連続の増収増益を果たし〔“2000年ミレニアム北海道特集:トップインタビュー=札マイカル北海道・大川社長”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2000年6月5日) 〕、2000年(平成12年)2月には東京証券取引所第1部上場に昇格している〔〔。 そして、同年9月にはグループ企業の「根室ファミリーデパート」と「室蘭ファミリーデパート」の2社を吸収合併して大型店事業を全店直営化することになった〔。 また、そうした百貨店に近い店舗だけでなく、「余市サティ」などの商圏の小さな店舗ではファッションブランドの比率を下げてよりスーパー的な性格の店舗とし、大都市の札幌圏では都心の百貨店との競合もあるためその中間的な性格を持たせるなど同じ生活百貨店・サティであっても地域特性に応じた対応を行い、各々の地域の消費者を満足させることで2001年(平成13年)2月期に7年連続の増収増益となる売上高約1217.19億円(前期比9.1%増)、経常利益約39.52億円(前期比0.3%増)を上げた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポスフール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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