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ポリティカ()は、セルビアの日刊紙である。セルビアでは高級紙とみなされており、日刊紙としてはバルカン半島でも最古の部類に属する。同紙は1904年1月25日にヴラディスラヴ・リブニカルによって刊行された。かつて同紙を所有していたポリティカAD(Politika A.D.)と、ドイツのWAZメディエングルッペ(:en:WAZ-Mediengruppe)がそれぞれ50%ずつ出資する合弁会社であるポリティカ新聞雑誌有限会社()によって発行されている。ポリティカ社は日刊のスポーツ紙・「スポルツキ・ジュルナル(Sportski žurnal)や、コンピュータや新技術に関するスヴェト・コンピュテラ(Svet kompjutera)、1939年に刊行された娯楽雑誌ポリティキン・ザバヴニク(Politikin zabavnik)などの定期刊行物を発行している。また、同社はセルビアとモンテネグロであわせて1100程度の街頭販売所を運営している。 発足当初からセルビアや、後にはユーゴスラビアの重要人物による寄稿を掲載してきている。これまでに、ブラニスラヴ・ヌシッチ(Branislav Nušić)やイヴォ・アンドリッチ、ヴァサ・ポポヴィッチ(Vasa Popović)、ズコ・ジュムフル(Zuko Džumhur)、リュボミル・ヴカディノヴィッチ(Ljubomir Vukadinović)、ミロスラヴ・ラドイチッチ(Miroslav Radojčić)、モシャ・ピヤーデなどが寄稿している。 また、ゾルゲ諜報団の一員としてソビエト連邦の諜報活動に携わったブランコ・ド・ヴーケリッチは本紙の特派員として日本に赴き、確認されているだけで56本の署名記事が掲載されている。ヴーケリッチが特派員になった経緯には不明な点が多いが、ユーゴスラビア共産党のシンパだった当時の社主リブニカルの独断ではないかとみられている〔山崎洋「ブランコ・ヴケリッチとその時代」『ブランコ・ヴケリッチ 日本からの手紙』未知谷、2007年〕。 RTVポリティカは1990年に開設された放送局で、ポリティカADが過半数を所有していた。放送局は独自の周波数帯と中継局を持ち、セルビアの国土の大部分、人口の90%がその視聴可能範囲に含まれていたが、放送免許の更新を受けず、2007年に放送を停止した。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポリティカ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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