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ポルシェ(''Porsche A.G.'' )は、ドイツの自動車メーカーである。正式な社名は ''Dr. Ing. h.c. F. Porsche AG'' であり、日本語に直訳すると、 「F (フェルディナント) ・ポルシェ名誉工学博士株式会社」となる。 本社はドイツ南西部のシュトゥットガルト。高級スポーツカーとレーシングカーを専門に開発・製造し、中でも1963年に発売されたスポーツカー「911」は改良を重ねながら製造・販売されている。 == 概要 == フォルクスワーゲン・タイプ1を設計した技術者フェルディナント・ポルシェにより、デザイン事務所として設立された(設立年については1930年〔『ワールドカーガイド1ポルシェ』p.27。〕、1931年〔『ポルシェ博物館/松田コレクション』p.13。〕と諸説あり)。1948年9月息子であるフェリー・ポルシェによって356.001が製造・販売され自動車メーカーになった。その後も設計・エンジニアリングの仕事も続けており、メルセデス・ベンツ・500Eの設計と生産、メルセデスベンツ・C11の最終セッティング〔『ジャーマン・カーズ2009年11月号 ポルシェとベンツのイイ関係』p.17。〕、ボルボ・960〔『輸入車ガイドブック1993』p.192。〕やアウディ・RS2アバント〔『ジャーマン・カーズ2009年8月号 夢のSUPERドイツ車ファイル』p.60。〕のエンジンチューンなどが知られている。エルンスト・フールマンによると「ポルシェが他メーカーのために引き受けている設計開発の仕事は、総売り上げの10%に達している。どんなメーカーの仕事をしているのかとよく聞かれるが、関係のないメーカーを数えた方が早いくらいだ。それに、最近では政府に依頼された仕事もある〔『われらがポルシェ ポルシェなんでも事典』p.122。〕」という。また月面車は設計料5000万ドルでポルシェが設計した〔『われらがポルシェ ポルシェなんでも事典』pp.184-185。〕。 ポルシェ一族は依然として同社の大株主ではあるものの、1971年に経営から手を退き、同社は同族経営から脱却している。このときポルシェの技術者だったポルシェ博士の孫(娘ルイーザの子)フェルディナント・ピエヒ(元フォルクスワーゲングループ会長)、同じく孫(フェリーの子)でデザイナーだったブッツィ・ポルシェ(後にポルシェデザイン社長)も会社を去っている。現在CEOはミヒャエル・マハトからマティアス・ミューラーへ交代。持ち株会社のポルシェオートモービルホールディングSEの監査役会会長にヴォルフガング・ポルシェ。 2005年、歴史的に関係の深い大手自動車会社フォルクスワーゲンの株式の20%を取得。2008年11月時点で持ち株比率は約43%となり、事実上同社を傘下に収めた。その後も、金融機関から必要に応じて株式を追加取得できる権利も含め、約75%まで買い増す方針であったが、資金繰りに行き詰まり、逆にフォルクスワーゲンがポルシェを買収するかたちで2011年半ばをメドに経営統合することが一旦決まった。しかし、ポルシェのフォルクスワーゲン株式取得をめぐる訴訟問題の解決が長引いたため、経営統合に遅れが生じた。2012年8月1日にフォルクスワーゲンが全てのポルシェ株式を取得し、ポルシェはフォルクスワーゲンの完全子会社となった。 ポルシェエクスクルーシブ というユニークなサービスを展開中。これは、正規店での新車オーダー時にインテリアやエクステリアの各パーツやカラーをカスタマイズしてくれるというもの。また、ポルシェテクイップメント では正規の販売店を通じてさまざまなアクセサリーを提供している。 ポルシェのエンブレム(紋章)は、本社のあるシュトゥットガルト市とバーデン=ヴュルテンベルク州の紋章を組み合わせたものとなっていて、中央の跳ね馬はシュトゥットガルト市の紋章から。その外側の左上と右下にあるギザギザした模様はバーデン=ヴュルテンベルク州の紋章に描かれた鹿(の角)を、右上と左下の赤い縞は知を、全体の金色の地色は豊穣を表す麦の色にちなんでいる。なお日本ではポルシェというとメルセデス・ベンツやアウディのようにメーカー全体の車種を指すことが多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポルシェ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Porsche 」があります。 スポンサード リンク
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