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ポルスキ・フィアット(''Polski FIAT''; PF)は、かつてポーランドに存在した乗用車ブランド。このブランドの乗用車は、イタリアのフィアット社からライセンス生産の認可を受けた車種を、ポーランドの工場が製造または組立てて生産したものであった。 == 第二次大戦以前 == ポルスキ・フィアットは、国営企業・PZInżのワルシャワにあった自動車工場 〔 PZInż:正式名称は、Państwowe Zakłady Inżynieryjne(国営技術工廠)。1928年に国有の工場と科学研究所を統括するために設立され、軍需産業と軍用・民用車両の製造を担っていた。1944年のワルシャワ蜂起時に本部組織が破壊されたが、第二次世界大戦後に国有工場は各工場の独自生産態勢に切り替えられたため、PZInżはそのまま消滅した。ワルシャワの自動車工場は、戦車、装甲車、オートバイ、貨物自動車といったポーランド軍の機械設備の整備を行なうため、1918年に戦争問題省(Ministry of War Affairs)が創立した自動車製造企業・CWS(Centralne Warsztaty Samochodowe)社をその前身とする。1925年にポーランド初の国産乗用車であるCWS・T-1の製造を開始し、後に「ソコル」(Sokół)ブランドのオートバイ生産も行なった。CWS社は、1928年に軍需産業の再編成を受けてPZInżの一部となり、1944年のワルシャワ蜂起時に破壊された。〕 で自動車のライセンス製造を行なうために、ポーランド政府がフィアット社と協定を結んだ1932年に生まれた。ポルスキ・フィアットの車は、新たに設立されたポーランド系イタリア企業のPolski FIAT S. A.(S. A.は(株)の意)によって販売・アフターサービスが行なわれた。ポルスキ・フィアット最初の車である小型車のPF 508/Iは、イタリア製の組立部品の供給を受けてノックダウン生産されていた。だが、その後の車種(フィアット・トポリーノ等)はポーランド国内で組立部品を調達するようになり、1930年代半ば以降のPZInżは全ての自働車製造を行なうようになった。しかし、第二次世界大戦の勃発を受け、ポルスキ・フィアットはナチス・ドイツがPZInżの各工場を接収した1939年に消滅した。 主な製造車種は以下の通り。なお、PFはポルスキ・フィアット(Polski Fiat)の略称。 *PF 508/III Junak:コンパクトカー。フィアット・508(Fiat 508)のライセンス車。 *PF 518 Mazur:ミドルサイズ車 *PF 618 Grom:1.5tトラック *PF 621L:2.5tトラック、派生車としてPF 621Rというバスがある ポーランドで開発された特殊な軍用車種: *PF 508/IIIW Łazik:乗用オフロード車 *PF 518 Łazik:乗用オフロード車 *PF 508/518:多目的オフロード車、及び軽砲積載トラクター(PF 508、及びPF 518を基に製造) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポルスキ・フィアット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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