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ポルトガルの歴史は現在のポルトガル共和国の領域で展開した歴史である。古代にはローマ帝国の支配をうけ、中世にはゴート人、イスラム勢力の支配を受けた。レコンキスタの進行した、12世紀にポルトガル王国が成立し、13世紀にはほぼ現在の領域が確定した。その後、海外へと植民地を獲得して隆盛を極めたのち、ナポレオン戦争で王制は動揺した。近代には共和制に移り、さらに独裁政権、無血クーデターによる民主化と激動の歴史を歩んだ。 == 歴史 == === 先史時代 === イベリア半島には初期から人類が進出し、ポルトガルの南北にかけて旧石器時代前期の遺跡が多く発見されている〔マルケス『ポルトガル』1、17頁〕。旧石器時代から中石器時代のイベリア半島ではアジール文化、ソーヴェテール文化、カンピニアン文化、タルドノワ文化などの文化が生まれ、同時にアフリカからイベリア半島に移住したカプス人と先住民との混血が進んでスペイン人、ポルトガル人と共通する特徴を多く持つ人種が誕生した〔マルケス『ポルトガル』1、18頁〕。石器時代のイベリア半島西部では移住生活が営まれ、突出した勢力を持つ部族は存在していなかった〔バーミンガム『ポルトガルの歴史』、21-23頁〕。ドウロ川の支流であるの流域には、牛、馬、山羊などの線画が書かれた旧石器時代後期の巨石が点在する〔金七『図説 ポルトガルの歴史』、10頁〕。紀元前5000年代の新石器時代には定住生活が営まれるようになり、磨製石器と土器の製造、農耕が始まり、野生動物の家畜化が進められる〔。新石器時代に建てられたドルメン(巨石墓)、クロムレック(環状列石)は、ポルトガル各地に残されている〔。 北と東の境界線が比較的緩やかだったポルトガルには移住者が自由に出入りすることができ、彼らによって銅細工、青銅器、鉄器の製造といった新しい技術が持ち込まれ、金細工の発達は豪奢な宝飾品の製造を促した〔。鉄器時代に地中海沿岸部やアフリカなどの地域から古代ケルト人などの様々な民族がポルトガルに移住し、こうした移住者はポルトガル文化の成長に寄与した〔。紀元前1000年ごろから北方に住んでいたケルト人は陸路を通ってイベリア半島に移住し、ケルト人と先住民のイベロ族の混血が進んだ結果、ケルト・イベロ(セルティベロ、ケルティベリア)族が現れた〔。古代ケルト人の文化は音楽、ポルトガル北部に残る家族構成と集落の組織などに痕跡をとどめている〔。 ケルト・イベロ族の子孫とされるは狩猟、農業を営み、彼らが居住するミーニョ川以南からグアディアナ川までの地域はルジタニア(ルシタニア)と呼ばれていた〔安部『波乱万丈のポルトガル史』、17頁〕。紀元前8世紀ごろ銀を求めるフェニキア人がイベリア半島沿岸部に到来し、それに遅れてギリシア人が植民した〔。現代のポルトガルの領土に含まれるイベリア半島北部での植民活動はほとんど見られなかったが、ポルトガル南部にはフェニキア人とギリシア人の遺跡が多く残り、アルガルヴェには植民都市が建てられた〔マルケス『ポルトガル』1、19頁〕。遠方から訪れた商人たちはポルトガルに造船技術を伝え、彼らが持ち込んだワインはポルトガル産のビールとともに愛飲されていた〔。フェニキア人の都市国家ティルスがアッシリアの攻撃によって陥落した後、ティルスが北アフリカに建設した植民都市カルタゴが西地中海のフェニキア人の交易拠点を支配し、イベリア半島の植民都市もカルタゴが継承する〔玉置「アルタミーラからローマ帝国まで」『スペイン・ポルトガル史』、33頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポルトガルの歴史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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