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ポンティニー修道院(Abbaye de Pontigny)はフランス、ブルゴーニュ地域圏、ヨンヌ県のポンティニーに現存する旧シトー会修道院。シトー会最初の4子院の1つであり、その教会堂は現存するシトー会建築としては最大級の規模を持ち、また現存最古のシトー会修道院として知られるフォントネーのシトー会修道院とほぼ同時期に建設された箇所も残っている(改装が行われた後陣以外。詳細は後述『建築』節を参照)。19世紀に始まるシトー会建築の再発見では、ポンティニー修道院はかなり早い段階から研究が行われた。フランスの「(monument historique)」にも指定されている。 == 歴史 == モレームのロベールが1098年に創設したシトー修道院は、その3代目院長ステファン・ハーディングの時代、1114年に本項のポンティニー修道院を設立した。シトー修道院が最初期にもうけた4つの子院の1つという扱いであり、本項の修道院はその2番目にあたる〔。設立のために派遣されたのはクレルヴォーのベルナルドゥスの友人、マコンのユーグ を筆頭に12人の修道士たちであった。最初の建築はすぐに手狭になったため、これもベルナルドゥスの友人であったシャンパーニュ伯ティボー2世の援助のもと1130年代から13世紀初頭までの工事により石造の教会堂が建設された。21世紀にも現存している教会堂は概ねこの時期に平面が確定した(詳細は後述『建築』節を参照)。〔 設立以降、中世末期までにポンティニー修道院は43の子院を持つまでになった。12-13世紀にかけて発展し〔、1164年以降、イギリスを追放された高位聖職者達がこの修道院に身を寄せる事例が複数あり、ポンティニーとイギリスの関係は深くなった。後に列聖される、カンタベリー大司教トマス・ベケットもその一人であった。 元々は自給自足、労働と祈りの生活を旨としたシトー会であったが、徐々に小作人を使うようになったりと、世俗的な側面を持ち始めた〔この現象はポンティニー修道院に限らない。、 など。〕が、この流れの中でポンティニー修道院も12-13世紀にかけては鉱山の開発を行い、修道院内にあった製鉄所は14世紀まで稼動していた。 その後は14世紀の百年戦争、16世紀の宗教戦争に巻き込まれ、そして18世紀末フランス革命で廃止されるという運命をたどったものの教会堂のみは破壊を免れ、1840年にはフランスの「歴史的記念建造物」に認定され〔、1954年からは Mission de France が本拠地に使用している。また L'ADAPT の、障害者のための職業訓練施設としても一部を使用している。〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポンティニー修道院」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pontigny Abbey 」があります。 スポンサード リンク
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