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ポンチャートレイン湖の湖上戦(ポンチャートレインこのこじょうせん、)は、アメリカ独立戦争中の1779年9月10日に、現在のルイジアナ州(当時はイギリス領西フロリダ)ポンチャートレイン湖で行われた帆船戦闘艦同士の一騎打ちである。イギリス海軍のスループ・オブ・ウォー HMS''ウェストフロリダ''と、大陸海軍のスクーナー USS''モリス''が戦った。 ''ウェストフロリダ''はポンチャートレイン湖を警戒巡視中に''モリス''に遭遇した。''モリス''は大陸海軍ウィリアム・ピクルス大佐が指揮するスペインとアメリカの水兵が乗り組み、ニューオーリンズを出港してきていた。''モリス''乗組員の方が多かったので、''ウェストフロリダ''に乗り移り、その艦長であるジョン・ペイン大尉に致命傷を負わせた。''ウェストフロリダ''を捕獲したことで、ポンチャートレイン湖にはイギリス海軍が居なくなり、既に弱くなっていた西フロリダ西部に対するイギリスの支配力を更に弱めることになった。 == 背景 == メキシコ湾岸ではアメリカ独立戦争の重大な軍事行動は起こっていなかったが、1779年にスペインが参戦した。この時までスペイン領ルイジアナの首都ニューオーリンズは、アメリカ愛国者側に金と軍需物資を提供する半ば秘密のルートとして機能していた。1779年まで愛国者たちはスペイン総督にひっそりと支援され、ニューオーリンズの著名な事業家オリバー・ポロックによって仲介されていた〔Kinnaird, pp. 256–259〕。ポロックは事実上大陸会議の代理人として行動してスペイン総督と交渉し、また私有財産も使ってミシシッピ川下流での愛国者の活動に関わっていた〔James, pp. 65–71, 241〕〔Ellis, p. 50〕。 1778年、イギリス領西フロリダを標的とする襲撃隊をジェイムズ・ウィリングが率いた。ミシシッピ川ではイギリスの船舶''レベッカ''を捕獲し、それをニューオーリンズまで移動させた〔Kinnaird, p. 260〕。''レベッカ''はアメリカ海軍に組み込まれ、フィラデルフィアの財務家ロバート・モリスに因んで、USS''モリス''と改名された。 イギリス領西フロリダは西のミシシッピ川から東のアパラチコラ川まで広がっていた〔Ellis, p. 42〕。''ウェストフロリダ''は1776年からジョージ・バードンの指揮でポンチャートレイン湖を巡航しており、ニューオーリンズに向かうスペイン商船を含めあらゆる形態の船舶を停止させて検査したので、スペインにとっては悩みの種だった。バードンは1778年にウィリングが行った襲撃のときにこれを捕まえることができず、1778年遅くには船の再艤装と修繕のために西フロリダの首都であるペンサコーラに戻った。1779年1月、バードンは指揮官職をジョン・ペインと交替した。ペインは西フロリダ海岸で測量任務に就いたことがあり、その地域をよく知っていた〔Rea, pp. 197–199〕。''ウェストフロリダ''は武装スループ・オブ・ウォーであり、その捕獲者に拠れば、4ポンドと6ポンドの大砲数門を搭載し、約30名の乗り組み員を載せていた〔Rea, p. 197〕〔。ただし、イギリス側の証言では、乗り組み員数は15名だった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポンチャートレイン湖の湖上戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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