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ポンチュス・ド・ティヤール : ミニ英和和英辞書
ポンチュス・ド・ティヤール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ポンチュス・ド・ティヤール ( リダイレクト:ポンチュス・ド・チヤール ) : ウィキペディア日本語版
ポンチュス・ド・チヤール[ちょうおん]
ポンチュス・ド・チヤール(Pontus de Tyard, 1521年頃-1603年or1605年)は、フランス詩人ビシー=シュル=フレイに生まれた同地の領主であり、ブラニー=シュル=ソーヌで没した。
1549年にリヨンで『恋愛の過ち ''les Erreurs amoureuses''』を著した(これは1555年までに数度の増補が行われた)。その文体はペトラルカに近いものであり(併せて友人モーリス・セーヴの『デリー』に触発された可能性もある)、その主題はルイーズ・ラベに触発されたものである。1551年の『当代の幾人かの優れた詩人たちの歌 ''Chant en faveur de quelques excellents poëtes de ce temps''』では、デュ・ベレーマロロンサールらを賞賛した。
チヤールはロンサールやデュ・ベレー同様にプレイヤード派の一員だったが、1550年代には派内での詩的な探求には余り熱心ではなかった。というのは、1557年まで匿名で出されていた一連の対話篇『哲学的言説''les Discours philosophiques''』に見られるように、彼はより哲学的な作品を手掛けていたからである。これらの対話篇は、彼に詩学音楽天気予言、世界全体の科学といった領域での知識を深めることを可能にさせた。そこでは、精神的視点(心理学弁神論)と物質的視点(天文学物理学気象学)とが密に接しているのである。なお、彼はコペルニクスの新しい理論に度々言及している。
1570年以降、彼はパリのサロンでいくらかの成功をおさめた。1573年に刊行された彼の詩篇集は、レ元帥夫人(Maréchale de Retz)に捧げられている。
彼は1589年にシャロン=シュル=ソーヌ司教になった。このことは彼の人生の新たな転機となった。その新しい職掌に全身全霊を傾けたからである。1588年のブロワ三部会では、カトリック同盟に対抗して王家の権威を擁護した。彼は翌年司教を辞して引退した。その後、1594年には『ユーグ・カペーの家系の抜粋 ''Extrait de la généalogie de Hugues Capet''』を刊行している。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ポンチュス・ド・チヤール」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pontus de Tyard 」があります。




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