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ポンティアック・テンペスト : ミニ英和和英辞書
ポンティアック・テンペスト[てん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

テン : [てん]
 【名詞】 1. 10 2. ten 3. (P), (n) 10/ten

ポンティアック・テンペスト : ウィキペディア日本語版
ポンティアック・テンペスト[てん]
テンペスト(''Tempest'' )は、1960年9月から1961年モデルイヤーとして導入されたゼネラルモーターズ(GM)のポンティアック・ディビジョンで製造された入門レベルのコンパクトカーである。テンペストは新しいYプラットフォーム(''Y platform'' )のモノコック・ボディをビュイック・スペシャル(''Special'' )、スカイラーク(''Skylark'' )やオールズモビル・F85(''F-85'' )、カットラス(''Cutlass'' )と共有していた。また、ポンティアック・ルマン(''LeMans'' )としても1962年モデルの始めから大量に販売されたが、1961年モデルのルマン クーペは極く少数であった。1964年にはプラットフォームが刷新され、フレーム付きのA-ボディ(''A-body'' )となった。テンペストの名称は、以前はテンペスト・シリーズの上級グレードの名称であったルマンのために1970年モデルで廃止となった。
== 初代 ==

初代のテンペストは、オールズモビル車の外板を使用していたがその下は根本的に異なった構造であった。テンペストの動力系は、ほぼ車両全長に渡る革新的なトンネルとそこに内蔵された¾inの柔軟なプロペラシャフトが鋼製の箱の中で回転しており、このたわんだプロペラシャフト(平たく「"ロープドライブ":"rope drive"」と呼ばれた)が前部のエンジンと後部で一体化されたデファレンシャルギアトランスミッションを繋げていた。後部に配されたトランスアクスルと前部に搭載されたエンジンの組み合わせ(トランスアクスル レイアウト)は、前後輪にほぼ50/50の理想的な重量配分を与え、4輪独立懸架を実現し、通常の形式の車ではトランスミッションを収めるのに必要な前席足元の床の"張り出し"を廃することができるという利点も持ち合わせていた。この車の設計者はポンティアック・ディビジョンの主任技術者でパッカードOBのジョン・デロリアン(''John Z. DeLorean'' )であった。彼は後にディビジョンの長になり、更にその後に彼自身の名を付けた車を造ることになった。ビュイックオールズモビルの姉妹車が通常の前部にエンジンとトランスミッション(床のトンネルの下に2分割式のプロペラシャフトが通っていた)を搭載したホッチキス・ドライブ方式(''Hotchkiss drive'' )を採用していたことからすると、テンペストはまさに独自の存在であった。
テンペストは1961年度の『モータートレンド』(''Motor Trend'' )誌のカー・オブ・ザ・イヤー賞に選ばれ、『ロード・アンド・トラック』(''Road & Track'' )誌はテンペストを「極めてゆったりとしている。」や「フォード・モデルA(''Model A'' )以来、最高の実用車の1台。」と褒め称えた。
エンジンは市場で「トロフィー4」(''Trophy 4'' )と称された195 cu in(3.2リットル)の直列4気筒で、これはボンネヴィル(''Bonneville'' )やカタリナ(''Catalina'' )といったポンティアックの大型車の標準エンジンであったポンティアック製389 cu inV型8気筒の右シリンダー・バンクから派生したエンジンであった。このエンジンは倹約家の消費者には燃料消費率の良い経済性の高いエンジンだと宣伝されたが、ポンティアックにとっても389エンジンと同一の生産ラインで製造できるためコストを抑えることができた。エンジンは8.6:1の低圧縮比に1バレル・キャブレター、10.25:1の高圧縮比に1バレル・キャブレターと高圧縮比に4バレル・キャブレターの3種類があり、1バレル・キャブレター版が110-140 hpの出力だった一方で4バレル・キャブレター版は4,800 rpm で155 hp(82 kWSAE グロス)の出力と2,800 rpmで215 ft•lbf(292 N•m)のトルクを発生した。この3種のエンジン全てが18-22 mpgの範囲の燃料消費率であり全般的に信頼性に富んでいたにもかかわらず、機械の調子が悪いときは蹴りを入れれば良いと思っているようなディーラの整備士(農村地帯出身と思われる)からは「"ヘイベーラ"("Hay Baler,":乾草圧縮梱包機)」という蔑称を付けられた。
小さいことだが著名なもう1点その他のY-ボディ車との違いはホイールであった。ビュイックとオールズモビル両車は自ブランドのY-ボディ車に当時の他のGM車には使用されていない14 in(360 mm)ホイールに4本の直径4.5 in (a "four-on-four-and-a-half" bolt pattern)のスタッド(''stud'' )を使用し、半端なサイズの9.5 in(241.3 mm)ドラムブレーキを標準化していた。ポンティアックは15 in(380 mm)ホイールに同サイズ("five-on-four-and-a-half")の5本のスタッドを使用し、9 in(229 mm)ドラムブレーキを装着していた。このポンティアックの構成もその他のGM車には使用されていなかったが、ホイールは約4年後の1964年半ばに発表されたフォード・マスタングと同一の物であった。多分唯一合致する共通点は、テンペストの足回りを製造していたロサンゼルスのポンティアック工場がムスタングの開発がされていたフォード工場と道を1つ隔てた場所にあったことであった。
特筆すべき点は1961年と1962年モデルのテンペストにオプション設定されていた革新的なアルミニウム製のビュイック製215 cu in(3.5リットル)V型8気筒である。215エンジン付きのテンペストはちょうど6,662台が注文され、これは全生産数の1パーセントだったと見られている。このエンジンは155 から 215 hp(160 kW)までの出力を発生したが、重量は架装状態で330 lb(150 kg)しかなかった。ポンティアック215ブロックは、ポンティアック工場で搭載される車毎にVINとともにビュイック・マークが手作業で刻印されることが他のビュイック製215エンジンと異なる点であった。このように1961年モデルの全てのポンティアック215ブロックの番号は"161P"で、1962年モデルは"162P" で始まった。これより後ろのコード番号はその車がオートマチックトランスミッション(AT)車かマニュアルトランスミッション(MT)車かを示していた。1961年モデルでは1速にシンクロメッシュ機構が付かない3速コラムシフトMTかダッシュボードのイグニッションキー右に位置する小型のレバーで操作する2速ATがあった。装置自体には表記されていなかったが社内文書で「"テンペスト・トルク"("TempesTorque")」と呼ばれたこのATは、シボレー・コルヴェアに搭載されていた物と良く似た(しかし共通部品はほとんどなかった)パワーグライド(''Powerglide'' )の1種であった。翌年にはフルシンクロの4速フロアシフトMTが追加された。導入された当初のテンペストは4ドア・セダンとサファリというステーションワゴンのみであった。2種類の2ドア・クーペ(その内の1台はルマンと命名された)は1961年モデルのボディスタイルで1961年末に追加された。
1962年モデルが登場したとき、元々ルマンは前席にバケットシートを装備したトリムパッケージ(''trim package'' )の豪華版であり、新しいコンバーチブルも追加された。これでテンペストはステーションワゴン、セダン、クーペ、コンバーチブルの全4モデルが揃った。この4モデルは全て只のテンペストであり、より豪華なクーペやコンバーチブルを望む購入者は追加料金を払ってテンペスト ルマンを選んだがセダンとステーションワゴンにはルマンは設定されていなかった。オールズモビルとビュイックはカットラスとスカイラーク各々により高価なオプションとしてピラーレスのハードトップを設定していたが、ルマンにはピラーレス・ハードトップはなかった。1963年モデルでルマンは独立したシリーズとなり、テンペストとルマンを合わせた全生産数の半分にも達した。
操縦性の改善のためにトランスアクスルに改良を加えられた1963年モデルは前2年のモデルより幾分大きく重くなり(今や「"シニア・コンパクト"("senior compact")」と呼ばれた)、ほとんど注文のない215エンジンよりも強力な高性能オプションが提供された。215エンジンはポンティアック製の新しい326 cu in(5.3リットル)V型8気筒に代替され、このエンジンの外寸は長寿の389エンジンと同じであったがより強力なトルクを発生できるように内部設計は異なっていた。新しい型のAT(今は正式にケースに「"テンペスト・トルク"("TempesTorque")」と刻印されていた)はこの強力なトルクに耐えられるように設計され、V8エンジン搭載車が4速AT付きで製造されたなら4速車はそれ程少数ではない。(しかし、どちらのエンジン用にも3速ATは残されていた)高圧縮比の326エンジンの出力は260 hp(197 kW)でトルクは 352 ft•lbf(477 N•m)であった。実際の排気量は336 cu inであったが、言い伝えによるとGMではどのディヴィジョンもシボレー・コルベットの327より大きなエンジンを使用することが禁じられていたために公表値は326であった。エンジン重量は鋳鉄製のために195 cu inのトロフィー4より重い260ポンドになり、前後重量配分は54/46となった。性能は『カーライフ』(''Car Life'' )誌が「何故にGMは389エンジンを載せなかったのかと考える者は誰もいないであろう。」と述べるほどに充分強力であったし、燃料賞比率は326エンジンで最高19 mpgであった。V8エンジンのオプションは人気で、販売された1963年モデルの131,490台のテンペストとルマンの52%が326エンジン付きの注文であった。翌年は排気量が実際に326 cu inに仕立て直されてしまったために1963年モデルの326はその年限定のエンジンであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ポンティアック・テンペスト」の詳細全文を読む




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