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ポンドショック : ミニ英和和英辞書
ポンドショック[ぽんど]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ポンド : [ぽんど]
 【名詞】 1. pound 2. (n) pound

ポンドショック ( リダイレクト:ポンド危機 ) : ウィキペディア日本語版
ポンド危機[ぽんどきき]
ポンド危機(ポンドきき、pound crisis)とは、1992年9月16日に英国の通貨であるポンド為替レートが急落し、翌日に英国がERMを離脱した一連の出来事である。ブラック・ウェンズデー(暗黒の水曜日)とも呼ばれる。ホワイト・ウェンズデー(白い水曜日)とも呼ばれる〔White Wednesday changed politics utterly: I'll be celebrating the anniversary with a reunion in Oxford D. Hannan, The Daily Telegraph, 18 Aug 2012 〕

==背景==
もともとポンドは世界の基軸通貨であったが、第二次世界大戦後その地位は失われた。また、イギリス経済はストップゴー政策と呼ばれる経済政策の迷走の結果、
イギリスの経常収支は1960年代から北海油田の採掘が始まり1980年代には純原油輸出国であったことから原油価格高騰時は黒字であったが、基本的に赤字基調となりつつあった。そのなかで、EC(欧州共同体)では域内通貨の統合に向けて域内通貨間の為替レートを事実上固定するEMS(欧州通貨制度)とERM(欧州為替相場メカニズム)を進めていた。
マーガレット・サッチャーはERM加盟には反対だった。サッチャー自身は、(資本移動が自由な場合に)独自の金融政策と為替レート目標とが両立し得ないことを理解していた。サッチャーは、英国の主な金融政策が英国財務省等ではなくドイツ連邦銀行によって決められる制度を採用すべきではないと考えていた〔M. Thatcher, The Downing Street Years, Harper 〕。サッチャーの経済顧問アラン・ウォルターズは、英国がERMに参加すればスターリング・ポンドへの投機攻撃の圧力は高まるだろうと考えており、ERM加入には反対の立場だった。だが最終的にサッチャー政権は1990年にERM加入を決定した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ポンド危機」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Black Wednesday 」があります。




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