翻訳と辞書
Words near each other
・ ポンポン山
・ ポンポン山 (大阪府・京都府)
・ ポンポン山 (近畿)
・ ポンポン桂
・ ポンポン焼
・ ポンポン焼き
・ ポンポン砲
・ ポンポン船
・ ポンポン菓子
・ ポンポン蒸気
ポンポーニョ・ガウリコ
・ ポンマンの聖母
・ ポンマー
・ ポンマースフェルデン
・ ポンメルン
・ ポンメルン (戦艦)
・ ポンメルンのエリク
・ ポンメルン公
・ ポンメルン公の一覧
・ ポンメルン公国


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ポンポーニョ・ガウリコ : ミニ英和和英辞書
ポンポーニョ・ガウリコ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ポンポーニョ・ガウリコ : ウィキペディア日本語版
ポンポーニョ・ガウリコ[ちょうおん]
ポンポーニョ・ガウリコ(Pomponio Gaurico, 1484年頃-1530年)は、イタリア詩人人文主義者占星術師ルーカ・ガウリコの弟。
サレルノ地方ガウロで生まれた。父ベルナルディノは文法学者だった。16世紀初頭にヴェネツィア、次いでパドヴァに滞在し、このころジローラモ・フラカストロ等と交流を持ったようである。20歳になるかならないかというこの時期に、代表作『彫刻論』(フィレンツェ、1504年)が公刊された。これは17世紀半ばまでに10回版を重ねている(抜粋を含む。なお、兄ルーカが関与したボローニャ版を除けば、ニュルンベルクアントウェルペンストラスブールアムステルダムなどいずれもイタリア以外での出版であった)。
その後ローマに滞在し、更に1512年から19年にはナポリで詩学の教師を務めた。ギリシャ語ラテン語に長けており、この頃サレルノの王子の家庭教師も務めている。1520年にはラテン語による詩集を上梓した。
彼はソレントからカステッランマーレ (:It:Castellammare) への途上、女性関係のトラブルから暗殺され、遺体は海に投棄されたというエピソードが事実であるかのように紹介されることもあるが、あくまでも伝説に過ぎないようである。
== 参考文献 ==

* (André Chastel (éd.)), ''Pomponius Gaurius : De Sculptura 1504'', Droz, 1969

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ポンポーニョ・ガウリコ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.