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ポンマンの聖母 : ミニ英和和英辞書
ポンマンの聖母[ぽんまんのせいぼ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひじり, せい]
  1. (pref) saint 2. st.
聖母 : [せいぼ]
 【名詞】 1. emperor's mother 2. Virgin Mary 
: [はは]
 【名詞】 1. (hum) mother 

ポンマンの聖母 : ウィキペディア日本語版
ポンマンの聖母[ぽんまんのせいぼ]

ポンマンの聖母(フランス語:Notre-Dame de Pontmain)は、普仏戦争中の1871年1月17日フランスのの上空で起こった出来事で、夕刻に、数人の子供たちの上空に「蒼い服の女性」が出現、子供たちのみが目撃した。当初はほほ笑むだけであったが、無言のまま文字によるメッセージを伝えたとされるものである。
その後奇蹟的にプロイセン軍が撤退し、文字によるメッセージは、聖母マリアの御加護と予言がなされたものと考えられている。
〔聖母の出現 現代フォークカトリシズム考 関 一敏著 日本エディタースクール出版部版 ISBN4-88888 C3022 P2800E 〕

==御出現==

===初期===
ポンマンはフランス北西部のペイ・ド・ラ・ロワール地域圏マイエンヌ県にあるコミューンで、当時は15軒ほどの民家と80名の住民からなる小集落であったが、最初に異変に気付いたのは当時12歳のウジェーヌ・バルブデット(Eugène Barbedette)であった。ウジェーヌは道路を挟んで納屋の向かいにある民家の上方約6メートルのところに金の星をちりばめた蒼色の服の美しい婦人が両手を下げ加減に広げ、迎えるしぐさでほほ笑んでいるのを目撃した。月は出ていないが星は出ている4半時も立ったころ、納屋から父親と弟のジョゼフ(Joseph 当時10歳)が出てきたが、父親にはその婦人は見えず、弟には見えるという。母屋から出てきた母親にもその婦人は見えなかった。納屋の仕事を片付けて母屋で夕食を済ませて再び納屋に戻ると子供たち2人はそのままであるという。父親は、お前たちに見えるなら修道女にも見えるだろうと、修道女のスール・ヴィタリヌ(Sr.Vitaline)に声をかけ、彼女は寄宿舎から子供たちを呼び出した。すると当時10歳と9歳であった2人の少女たちがやはり何か見えると主張した。この後、別の修道女スール・マリー=エドゥア―ル(Sr.Marie-Edouard)が駆け付けたが、彼女はいち早く聖母と認識した。他の子供たちにも声をかけ、そしてカトリック教会司祭であるゲラン神父(Fr.Guerin)にも「聖母が出現した」と報告し、連れてきた。
この騒ぎを聞きつけ、約50名の人々が駆け付けたことになるが、ここまでの段階では「蒼い服の女性」は子供たちに微笑みかけるばかりで何のメッセージも身元も伝えていなかった。子供たちの説明では、靴まで垂れ下がる星印の青いチュニック、金のリボンの蒼い靴、髪を覆う黒の長いヴェール、末広がりの円筒形の帽子と言った衣装の様子が人々に知らされているだけである。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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