|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 包囲 : [ほうい] 1. (n,vs) siege 2. encirclement 3. envelopment ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight
ポートハドソンの包囲戦(ポートハドソンのほういせん、英:Siege of Port Hudson)は南北戦争の1863年5月21日から7月9日まで、ルイジアナ州のミシシッピ川の町ポートハドソンを北軍が襲い、包囲した戦闘である。 北軍ナサニエル・バンクスの軍隊は、ユリシーズ・グラント少将によるビックスバーグの包囲戦と協調して、ミシシッピ川のポートハドソンにある南軍の要塞に対して侵攻した。北軍は1863年5月27日の正面攻撃に失敗した後で、包囲戦を布き、48日間続いた。バンクスは6月14日にも再度攻撃したが守備隊に撃退された。7月9日、ビックスバーグ陥落の報に接した南軍守備隊はポートハドソンの降伏を飲み、ミシシッピ川はそのニューオーリンズの河口から北軍の航行が全て可能になった〔 NPS. 〕。 == 背景 == 1861年4月に南北戦争が始まった時から、北部も南部もその戦略の主要部分にミシシッピ川の支配を位置付けていた。南軍は必要な物資の輸送に川を使い続けたいと考え、北軍はこの供給線を止めて、アメリカ連合国の州と準州の間を2つに分かつ楔を打ち込みことを望んだ。特に南部に重要なことはレッド川河口を含むミシシッピ川周辺だった。レッド川はアメリカ連合国の東部と西部の間で、物資を動かす主要経路だった。塩、牛および馬がミシシッピ川流域の西部から下流に動き、反対方向には東部から人と弾薬が動いた。 1862年春、北軍はニューオーリンズとテネシー州メンフィスを支配した。川の中央部を使い続けるためには、南部の要塞ビックスバーグとポートハドソンを確保する必要があった。 1863年5月、北軍の海陸協働軍がミシシッピ川の全域を支配することを求めて作戦を開始した。ユリシーズ・グラント中将が指揮する1軍はまだ南軍が支配しているミシシッピ川流域の北端ビックスバーグにある要塞に対して作戦を始めた。ほぼ同じ頃、ナサニエル・バンクス少将指揮する1軍は、その流域の南端にあるポートハドソンに向けて進軍した。バンクスの先導師団は5月21日のプレインズストアの戦いで南軍と遭遇した。5月23日までにバンクス軍は作戦が進行するに連れてその勢力が3万名から4万名に膨れ上がり、ポートハドソンの守備隊を取り囲んだ。バンクスは直ぐにでも塹壕に入っている敵軍を圧倒し、続いて北のビックスバーグにいるグラント軍の応援に向かいたいと思っていた。 ポートハドソンの南軍要塞の中には約7,500名の守備隊がいた。その指揮官は生まれつきニューヨーク人のフランクリン・ガードナー少将だった。その目標はできるだけ長くその要塞を守ってバンクス軍がグラント軍に合流するのを妨げ、またミシシッピ川のその一帯の南軍支配を継続することだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポートハドソンの包囲戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|