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ポートレパブリックの戦い()は、南北戦争の1862年6月9日、南軍ストーンウォール・ジャクソン少将がシェナンドー渓谷で戦ったバレー方面作戦の一部として、バージニア州ロッキンガム郡で起きた戦闘である。この戦闘は南北両軍が同程度に決死の覚悟で戦ったために激しい攻防となり、バレー方面作戦の中でもジャクソンのバレー軍に最も大きな人的損失を出させたものになった。前日におきたクロスキーズの戦いと共にポートレパブリックの戦いはジャクソン南軍の決定的な勝利となり、北軍に後退を強いた。ジャクソン軍は、リッチモンド郊外で七日間の戦いを行っていたロバート・E・リー将軍の援軍に回れることになった。 == 背景 == ジャクソン軍のバレー方面作戦は、実質的には1862年5月8日のマクドウェルの戦いから始まっており、その後の1か月間でジャクソン軍は持ち前の機動力を使ってシェナンドー渓谷を往復し、北軍の弱点を突いては戦勝を重ねていった。5月25日の第一次ウィンチェスターの戦いが最も北で起きた戦いであり、その戦場はメリーランド州との州境に迫っていた。ジャクソンは北軍の2つの大きな部隊に対応するために、シェナンドー渓谷の南西奥に退き、クロスキーズとポートレパブリックに陣を布いた。6月8日に起きたクロスキーズの戦いでは、北軍の左翼を撃破して大きな損失を出させていた。 1862年6月8日から9日の夜、南軍のチャールズ・S・ワインダー准将が指揮するストーンウォール旅団は、ボゴタ(ガブリエル・ジョーンズが所有していた大きな家)近くの前進陣地から撤退し、ポートレパブリックでジャクソンの師団に合流した。南軍戦闘工兵がシェナンドー川南支流を渡すために荷車の橋を造った。ワインダーの旅団は川の東で北軍を攻撃するときの先鋒となる任務を与えられた。アイザック・R・トリンブル准将の旅団とジョン・M・パットン・ジュニア大佐の部隊は、北軍ジョン・C・フレモント少将の部隊をクロスキーズで食い止めるために残され、リチャード・イーウェル少将師団の残りはポートレパブリックに進んで、ワインダーの攻撃を支援する配置に着いた〔NPS report on battlefield condition 〕。 北軍エラスタス・B・タイラー准将の旅団は、ルレイ道路沿いルイストンの北でサミュエル・キャロル大佐の旅団と合流した。ジェイムズ・シールズ准将の師団の残りは、ルレイに戻るぬかるんだ道路で難渋していた。野戦指揮にあたったタイラー将軍は6月9日夜明けにルイストンの近辺まで前進した。その戦線の左翼はルイストン・コーリングに陣取った砲台とし〔Cozzens, p. 481: The name Coaling originated because the Lewis family made charcoal there for their blacksmith shop.〕、歩兵をルイストン・レーンに沿って西に展開し、南支流のルイスの工場がある場所近くまで延ばしていた。右翼と中央は、全部で16門の大砲で支えられていた〔Krick, pp. 309–10.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポートレパブリックの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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