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ポーランド地質調査所 地質博物館(ぽーらんどちしつちょうさじょ ちしつはくぶつかん)はワルシャワにある地学や古生物学をテーマとした博物館。ポーランド地質調査所の敷地内にあり、同調査所が運営する。 正式名称は「 Muzeum Geologiczne Państwowego Instytutu Geologicznego - Państwowego Instytutu Badawczego w Warszawie (国立研究所 ポーランド地質調査所ワルシャワ地質博物館)」で、単に地質博物館と言う場合や、地質調査所の部分を略記して「 Muzeum Geologiczne PIG 」と表記する場合もある〔オフィシャルサイトによる。(2011年5月16日閲覧)〕。なお、「 Państwowego Instytutu Badawczego (国立研究所)」になったのは2009年からで、それ以前は付いていなかった〔。 ==歴史== この博物館の歴史は1919年に設立されたポーランド地質調査所とともに始まる。設立当初の地質調査所はスタシツ宮殿( Pałac Staszica w Warszawie )内に置かれたが、新たな建物を建造する計画が提出され、学術関係の建築を多く手がけたポーランドの建築家マリアン・ラレヴィチ( Marian Lalewicz :1876-1944)の設計によって1925年-1930年に現在の場所に建造された。それまでの聖堂によく用いられたオーランド諸島クムリンゲ島産のピンク色の花崗岩が石材として使用されており、これがラレヴィチの建築構想に大いに影響したと言われ、外観や内部装飾にも伝統的な聖堂に見られる意匠が多く見られる。 この建物には第二次世界大戦後まで地質調査所と博物館の両方があったが、この大戦は博物館にとっても非常な受難の時代であった。1939年9月1日、ポーランド侵攻が始まると、ワルシャワ攻撃の最中に博物館の屋根と一部の展示物を除いてめちゃめちゃに破壊された。9月中旬にはナチス・ドイツの管理下で被害調査と収蔵品の調査が行われ、価値があると見なされた収蔵品は全てドイツ本国に送られた。一方、ポーランド人職員たちは引き続き職務につけることになったが、翌1940年4月には名称が「 Amt für Bodenforschung (”土壌調査所”)」というドイツ語名に変更さるとともに、本部はクラクフに置かれることになった。結局この戦争で地質調査所も含む建物全体の95%と備品の50%が破壊、収蔵品の70%が喪失したと見積もられている。研究に欠かせない図書室の蔵書の多くもドイツに送られたが、その一部は1944年のワルシャワ蜂起の際にも破壊されたり燃やされたりして消滅した。しかし最も被害を蒙ったのは職員や協力員らであり、その25%がこの戦争で殺された。 復旧はドイツ軍が撤退した1945年から始まったが、この時点では職員の大部分が移動していたクラクフを拠点として作業が行われた。前年1944年の8月に職員らが隠しておいた学術資料の回収や、大きく破壊された建物や設備の修復が順調になされ、1946年の秋には本部事務所をワルシャワの現在の建物内に移すことができた。その後手狭になったため、1948-1952年に敷地の南側に近代的なデザインのビルが建てられて地質調査所はそこに移った〔History of the Polish Geological Institute (2011年5月16日閲覧)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポーランド地質調査所地質博物館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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