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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ポール・ウェイナー(Paul Glee Waner, 1903年4月16日 - 1965年8月29日)は、1920 - 1930年代のアメリカ・メジャーリーグで活躍した選手。主なポジションは右翼手。オクラホマ州生まれ。左投げ左打ち。愛称は"Big Poison"(ビッグ・ポイズン)。 == 略歴 == 1926年にピッツバーグ・パイレーツからデビューし、同年ルーキーでいきなり.336の打率を残す。1927年に弟のロイド・ウェイナーが入団し、『ポイズン・ブラザーズ』として名を馳せた。当時兄ポールは「ビッグ・ポイズン」、弟ロイドは「リトル・ポイズン」と呼ばれていたが、実際は弟の方が兄より少し背が高かった。同年は首位打者、打点王の二冠に輝き、その年のリーグMVPとなる。ワールドシリーズにも出場したが、「殺人打線」を擁するニューヨーク・ヤンキースの前に4連敗で敗退した。 その後デビューから10年以上打率3割以上を維持してきたが、1938年にその記録は途絶える(.280)。成績低下の原因は彼の飲酒とされ、チームから飲酒を禁じられた。その翌1939年の打率は.328だった。 1940年シーズン途中にブルックリン・ドジャースに移籍。 1941年から2年間はボストン・ブレーブスに在籍。ブレーブス在籍時に通算3000本安打に到達した。3000本安打を達成する前の打席ではエディ・ジョースト遊撃手が弾く強烈なゴロ打球を放ち、一度はこれが3000本目の安打として記録されている。ところが、ウェイナー自身が中2階の記者席目がけて大きく手を横に振り、記念すべき通算3000本安打を文句のない1本で記録したいからという理由で安打の取り消しを要求しために安打は取り消され、ジョーストの失策となった。 1945年、ニューヨーク・ヤンキースで現役を引退。ポールとその弟ロイド・ウェイナーの安打数の合計は2人合わせて5611安打にもなり、これはディマジオ3兄弟(計4853安打)、アルー3兄弟(計5094安打)よりも多い。実はウェイナーは現役時代近視だったが、ずっと眼鏡をかけないままプレーし続けていた。球団関係者が近視のことを知ったのは何年も経ってからだったという。 1952年に投票によりアメリカ野球殿堂入り。1965年フロリダ州で死去。62歳。2007年、背番号11がパイレーツの永久欠番となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポール・ウェイナー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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