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ポール・トルトゥリエ(Paul Tortelier ,1914年3月21日 - 1990年12月18日)はフランスのチェロ奏者、作曲家、指揮者。チェロ演奏では卓越した技巧、芯の太い音色の上に、真摯で深い精神性を湛えた表現で名高い。作曲家としても、『イスラエル交響曲』やチェロ作品など優れた作品を残した。 == 略歴 == *パリ生まれ。6歳よりチェロを始め、パリ音楽院でチェロをジェラール・エッカンに師事、作曲と和声も学ぶ。インタビュー形式の自伝『ポール・トルトゥリエ チェリストの自画像』(音楽之友社 ISBN 978-4-276-20368-6)によれば、長年にわたる母親の熱心な励ましがトルトゥリエを支えたという。 *1930年、16歳でパリ音楽院チェロ科を1位で卒業。同年12月にはデビュー・リサイタルを開く。 :パブロ・カザルスに師事したとよく書物等に書かれるが、影響は多分に受けたが直接習った事は無いことがトルトゥリエ自身によって語られている。 *1935年、パリ音楽院作曲科を1位で卒業。以降、モンテカルロ歌劇場管弦楽団、ボストン交響楽団、パリ音楽院管弦楽団の首席チェロ奏者を歴任した。 *1947年、トーマス・ビーチャム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団及びロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で独奏者として活動開始。 *1950年、カザルスを音楽監督として開催されたプラド音楽祭に参加、チェロ・パートのトップを受け持った。 *1956年、パリ音楽院チェロ科教授。同年、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を振って指揮者デビューを果たす。 *1965年、オックスフォードで開催されたバッハ音楽祭で指揮する。 *1990年、パリ郊外のピラルソー音楽学校で心臓発作のため没。チェロにもたれかかったまま亡くなったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポール・トルトゥリエ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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