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ジェームズ・ポール・マッカートニー(Sir James Paul McCartney, MBE, Hon RAM, FRCM、1942年6月18日 - )は、イギリスのミュージシャン。シンガーソングライターであり、世界で最も有名なマルチプレイヤーの一人でもある。 ファーストネームはジェームズだが、父親も同じファーストネームのためミドルネームのポールを主に用いている〔父親と同じなのは、労働者階級は長男に自分のファースト・ネームをそのままつけることが多かったため。身内に同じ名前の人がいる場合、区別する為に、ミドル・ネームを主に用いる事はよくある事である。なお、ポールの長男であるジェームズ・ルイーズ・マッカートニーもファーストネームは祖父、父同様ジェームズであるが、父・ポールのようにミドルネームではなくファーストネーム(ジェームズ)で呼ばれることが多い〕。 『ギネス世界記録』に「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」として認定されている〔他に「ゴールドディスクの最多保持者」「最多レコード売り上げミュージシャン」としても認定されている〕。 1960年代、ロックバンド・ザ・ビートルズのメンバーとして、ジョン・レノンとともに数多くの楽曲を作詞・作曲し、メインボーカルを務めた(レノン=マッカートニーを参照)。解散後は、ソロ歌手およびウイングス(ポール・マッカートニー&ウイングス)などのメンバーとして活躍。デビューから半世紀以上経過した2016年現在でも、第一線で活躍している。左利き。 == 人物 == 世界で最も有名なポピュラーミュージシャン、シンガーソングライターの一人である。軽快で親しみやすく美しいメロディ、あるいは深く切ない、哀愁漂うメロディーの作風に特色があり、ザ・ビートルズ時代においては「イエスタデイ」、「ヘイ・ジュード」、「レット・イット・ビー」など、ビートルズの代表曲と言われる楽曲の多くを作詞作曲した。1960年代半ばに哲学者のバートランド・ラッセルからベトナム戦争について学んだポールは、それがきっかけでグループに政治的関心を持ち込んだとプロスペクト誌に語っている。解散後の1970年代には、ウイングスのリーダーとして、1980年代以降はソロとして活動し、全米チャートの首位に9曲、トップ20に20曲以上ランクインしている。2000年以降も作品をリリースし続けており、近年ではクラシック音楽も手がけている。 ビートルズ時代から現在に至るまで、バンドでは主にベース、(レコーディングではギターやキーボードも) を演奏しているが、近年はライブでもギターを演奏しギタリストとしての一面を見せる事も増えている。彼のメロディアスなベースラインは評価が高く、後のロックバンドにも多大な影響を与えたと言われる。他にもシンセサイザー・キーボード・ドラムス・ウクレレ・フラットマンドリン・またトランペットやサックスなどといった管楽器をも扱うマルチプレイヤーである〔デビュー以前のビートルズ(スチュアート・サトクリフ在籍時)ではギタリストであり、また時折ドラマーを務めたこともあった。ブルースハープ(ハーモニカ)やシタール(インドのギター)も扱える。〕。「タックスマン」「涙の乗車券」などビートルズ時代のいくつかの曲でリード・ギターを担当し、また「バック・イン・ザ・USSR」「ディア・プルーデンス」「ジョンとヨーコのバラード」などでドラムを叩いている。ソロ・アルバム『マッカートニー』や『裏庭の混沌と創造』ではすべての楽器を一人で演奏(マルチレコーディング)している。 ジョン・レノンによると、世間はポールのギターの腕を「過小評価している」と述べており、「今(1980年)、みんながやっていることの半分は、ビートルズ時代のポールをそっくり真似たものだよ。」と述べた。また、「人一倍自負心の強いポールが唯一謙虚なもの」とも言っていた〔出典:「ジョン・レノン PLAYBOY インタビュー」1981年 集英社〕。 ボーカリストとしての才能も高く、楽器を演奏しながら「リトル・リチャード」などの難易度の高いロック・ナンバーを歌いこなすほか、バラードにおける甘い歌声や、エルヴィス・プレスリーを思わせる唸りを効かせた歌唱法など、多彩なボーカルを聴かせる。ビートルズのメンバーでは最も高い声域を持ち、コーラスの一人多重録音も盛んに行っている。 1997年に、英国のナイトの爵位を授与、1999年にロックの殿堂入り。 また近年では、2010年に、アメリカでポピュラー音楽で世界の文化に大きな影響を与えた作曲家・演奏家に贈られるガーシュウィン賞を受賞。 国を代表する一人として2012年ロンドンオリンピックの開会式のトリに、"ヘイ・ジュード"を演奏・歌唱をした。この年に、フランスのレジオンドヌール勲章オフィシエを受章。 2013年には、グラミー賞開設40周年を迎えるにあたって、1973年リリースの『バンド・オン・ザ・ラン』が、名誉の殿堂賞を獲得した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポール・マッカートニー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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