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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ポール・マリナー(Paul Mariner, 1953年5月22日-)は、イギリス、ランカシャー出身の元サッカー選手。1970年から80年代にかけて主にプリマス、イプスウィッチ、アーセナルとイングランド代表でセンターフォワードとしてプレーした。現在は米MLSのニューイングランド・レヴォリューションのアシスタントコーチを務めている。 == 1970年代 == マリナーはリーグ非加盟のクラブ、チョーリーでアマチュア選手としてのキャリアをスタートさせ、1973年にプリマスと契約を結ぶ。 チョーリーで135試合56ゴールを記録し、名将ボビー・ロブソンの目に留まり220,000ポンド(当時)でイプスウィッチに移籍。この時、マリナーはウェストハムからも似たようなオファーを受けていたが、イプスウィッチを選択。 1976年9月にクラブでデビューをし、典型的な「9番」タイプの(ポストプレーが得意で点も取れる)選手としてチームに馴染む。マリナーは足下の技術も優れていたため、ターゲットマンとしての役割のみならず、再度に流れて起点になり、自らゴールを決めることもできた。 イプスウィッチでの活躍が認められ、入団から6ヶ月後に行われたイングランド対ルクセンブルクとの試合でサブとしてデビューを果たした。続く、イギリス選手権での北アイルランド戦ではスタメン出場したが、両試合とも得点を挙げることができず、続く6試合には招集されなかった。このシーズン、イプスウィッチはリーグ3位で終え、マリナーは28試合10ゴールという成績を残した。 その後マリナーの代表招集の声がかかったのは1978 FIFAワールドカップアルゼンチン大会予選でのルクセンブルク戦だった。絶対勝利が条件だったこの試合でマリナーは1ゴール挙げ、2-0の勝利に貢献。この時、代表にはマリナーの他にスチュアート・ピアソンやボブ・ラッチフォードといったターゲットマンが代表にいたが、監督のロン・グリーンウッドはその中でマリナーを好んで多く使っていた。 同じ時期、マリナーはクラブで複雑な心境だった。個人的には37試合で11ゴールを記録していたのだが、チームはリーグ18位と低迷していた。しかし、FAカップではウェンブリーでの決勝でアーセナルを1-0で破って優勝している。マリナーはこの試合でアーセナルディフェンスを混乱させ、素晴らしい活躍をみせたこともあり、マン・オブ・ザ・マッチに輝いている。 1979年は1年間通して代表に招集されなかったが、クラブでは33試合で13ゴールの活躍を見せた。マリナーの代表6キャップ目が刻まれたのは5キャップ目からちょうど2年が過ぎたウェールズとの試合だった。この試合でゴールを決め、チームは4-1で勝利を飾った。その後もUEFA欧州選手権1980イタリア大会前の親善試合でオーストラリア相手にゴールを決め、予選には不出場ながらも大会のメンバー入りを果たす。 本大会では緒戦のベルギーとの1-1で終わった試合には出場しなかったが、グループリーグの残りの2試合には途中出場—イタリアに負け、スペインには勝ったが、イングランドの敗退が決定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポール・マリナー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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