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ポール・ヴェキアリ(Paul Vecchiali、1930年4月28日 アジャクシオ - )は、フランスのシネアスト(映画監督、脚本家)である。 == 来歴 == 1930年4月28日、コルス=デュ=シュド県、つまりコルシカ島南部のアジャクシオで生まれ、幼少期をヴァール県トゥーロンで過ごす。家族は、占領下での対ナチ協力(Collaboration)を疑われ、戦後この町を出た〔仏語版WikipediaPaul Vecchialiの項の記述より。〕。 1953年、パリの理工科学校を卒業し、1950年代は『ラ・ルヴュ・デュ・シネマ』と『カイエ・デュ・シネマ』誌の批評家として過ごした。 1961年、31歳のとき、ドニ・エプスタンと共同で脚本を書き、長編映画『''Les Petits Drames''』を発表する。無声映画だったが、憧れの女優ダニエル・ダリューを出演させることに成功した。数本の習作短編を経て、1965年、35歳のときに、『''Les Ruses du diable''(悪魔の詭計)』で商業映画デビューを果たした。 1970年代に「ユニテ・トロワ」社と「ディアゴナール」社の2つの製作会社を設立。とくに後者は、ヴェキアリの作品を安定的に供給することに貢献した。また1970年代後半からは、ジャン=クロード・ビエット、ジャン=クロード・ギゲ、マリー=クロード・トレユ、ノエル・シムソロ、クローディーヌ・ボリといった映画監督をつぎつぎとデビューさせた。彼らはだれもが、ヴェキアリ作品で共同脚本家や、助監督、製作主任などを数本経験し、だれもがかならずヴェキアリの作品に出演した。そして、彼らをも含めた「ヴェキアリ組」と呼ぶべき俳優たちが多数存在し、「ディアゴナール」社はさながらひとつの劇団か学校のようである。 フランスでは揺るがざる地位を築き、いまも果敢に新作に取り組んでいる巨匠ヴェキアリだが、日本では商業公開は現状『薔薇のようなローザ』(1985年)の1作のみ、『どうか温かいお気持ちを』(2004年)はわずかに紹介されたのみ。いまだ知られざる「カイエ派」の作家である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポール・ヴェキアリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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