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マァウン・ティン : ウィキペディア日本語版
マァウン・ティン

マァウン・ティンビルマ語: မောင်ထင်、1909年3月20日 - 2006年1月29日)は、ミャンマーの作家。小説『農民ガバ』によって国内で広く知られている〔河東田 (1992) p.130〕。
== 生涯 ==
イギリス植民地時代のエーヤワディ地方域のに生まれる。1920年からミャンミャ市の公立中学校で英語とビルマ語の2言語教育を受ける。同年にで学生ストライキ事件が起きて、ビルマ語教育を重視する運動が盛んになると、ビルマ人学校へ編入される。1926年にヤンゴン市立高校を卒業して、ヤンゴン大学の医学部で医師を目指すが、のちに文学部へと進んで学士号を取得した〔河東田 (1992) p.136〕。
ミャンミャ市のビルマ人学校の高等部教師やイギリス植民地政府の官吏を務め、第二次世界大戦とともにイギリスと日本の戦闘が起きると、郷里レッポターでビルマ独立義勇軍(BIA)の兵員募集の仕事につく。日本軍の進出とイギリスの撤退によって1943年にビルマ国が成立すると、バー・モウ政権のもとで外務省事務次官や情報宣伝省次官となり、ビルマ連邦独立後には情報省の情報局長につくが、1950年に辞職してヤンゴン新聞の編集長となった〔河東田 (1992) p.136,141〕。
1950年代にはロンドンタイムズの契約記者となり、ビルマ作家協会会長、ビルマ新聞記者協会会長に就任する。1952年にはビルマ新聞記者団として来日した。1977年から短篇小説や評論を発表するかたわらで、パーリ語三蔵をビルマ語へ翻訳する事業に協力して、1987年にはビルマ語辞典の編纂委員に任命された〔河東田 (1992) p.136-137〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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