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マアッラト・アン=ヌウマーン(アラビア語:معرة النعمان Ma‘arra(t) al-Nu‘mān、もしくはマアッラ・アル=ヌウマーン、単にマアッラ Ma‘arra、マアッラト Maarrat、マアラ Maara)はシリア西部のイドリブ県にある小都市。周囲の農村地帯の農産物を集散する市場の町で、アレッポとハマーを結ぶ国道の中間にある。人口は約81,000人。周囲には「デッド・シティーズ」と呼ばれる、地震・戦乱・交易路の途絶などで放棄された町や村の跡が散在し、中でもバラ(Bara)やセルジッラ(Serjilla)は有名である(世界遺産・シリア北部の古村落群を参照)。 == 名称・見所 == ギリシャ人からはアッラ(Arra)と呼ばれ、十字軍にはマッレ(Marre)と呼ばれたこの街は、現在では伝統的な名前のマアッラと、預言者ムハンマドの教友(サハーバ)でマアッラ最初のムスリムの領主アン=ヌウマーン・イブン=バシール(al-Nu‘mān ibn Bashīr)の名を組み合わせた都市名を使用している。 街の主な見所には、周囲のデッド・シティから発見されたモザイクなどを収めた博物館、1170年の大地震後に再建されたモスクとミナレット、1199年に創建されたマドラサ・アブー・アル=ファラウィス(madrasa Abū al-Farawis)、中世の城塞の遺跡などがある。またマアッラト・アン=ヌウマーンは、高名な詩人アブー・アル=アラー・アル=マアッリー(Abū al-Alā' al-Ma‘arrī、973年 - 1057年)の生誕地でもある。アル=マアッリーは盲目の詩人・哲学者で、合理主義的な主張を行い、イスラム教の教理を攻撃したことで知られる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マアッラト・アン=ヌウマーン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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