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マイエンブレムは日本の競走馬。 == 戦績 == 栗東・藤原英昭厩舎に入厩し、2008年4月5日未勝利戦でデビュー、8番人気で9着に終わった。9月の未勝利戦(2着)後、兵庫県競馬組合・園田の曾和直榮厩舎に移籍する。D級戦を勝つと、次にいきなり重賞の楠賞に挑戦。岩田康誠を鞍上に迎えたこともあり、不振が続いていた兵庫ダービー馬バンバンバンクを抑えて1番人気に推されたが、4馬身差の2着に終わった。 その後条件戦2連勝を挟んで再び重賞に挑戦した新春賞もバンバンバンクの3着に終わったが、再び条件戦を2連勝して出走した六甲盃は強豪が不在だったことも味方したが、1番人気に応え見事レコードタイムで圧勝した。続くさくら賞も1番人気にこたえて快勝した。その後、中央再転入が決まり、栗東・笹田和秀厩舎に移籍。中央再転入初戦となった2009年5月17日の4歳以上1000万下では武豊を鞍上に迎えて2番人気となったが7着に敗れた。続く6月21日の3歳以上500万下では1番人気で出走。レースでは2コーナー付近で先頭に立つと最後の直線でアドマイヤアゲインの追撃をクビ差で振り切り、中央初勝利を挙げた。続く7月25日の天草特別では2コーナーまで後方で待機していたが、3コーナー付近で進出し、4コーナーで先頭に立つとそのまま押し切って快勝した。その後、休養をはさんで11月15日のドンカスターステークスにクリストフ・スミヨンを鞍上に迎えてのレースだったが13着と大敗した。続く12月27日の2009フェアウェルステークスでは再び武豊を鞍上に迎えてのレースだったが、13着と大敗した。 5歳となった2010年は5月1日の桃山ステークスから始動したが、12着と殿負けを喫した。続く6月26日の安芸ステークスでは中団から追い上げて3着と好走した。8月8日の宮崎ステークスでは3番人気に推されたもののいいところなく8着に敗れた。 6歳となった2011年は4月17日の陽春ステークスから始動、後方から追い上げたが4着に敗れた。続く5月22日の薫風ステークスでは7着、6月11日の灘ステークスでは14着に終わった。その後、園田・重畠勝利厩舎に移籍した。 7歳となった2012年は4戦したが未勝利に終わり、競走馬登録を抹消された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイエンブレム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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