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マイク・クエイラー : ミニ英和和英辞書
マイク・クエイラー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マイク・クエイラー ( リダイレクト:マイク・クェイヤー ) : ウィキペディア日本語版
マイク・クェイヤー[ちょうおん]

ミゲル・アンヘル・クェイヤー・サンタナMiguel Angel Cuellar Santana , 1937年5月8日 - 2010年4月2日)は、キューバサンタ・クララ州(現:ビジャ・クララ州サンタ・クララ出身のプロ野球選手投手)。左投げ左打ち。愛称"Crazy Horse"クレイジー・ホース)。
== 経歴 ==
フルヘンシオ・バティスタ政権時代のキューバでは軍人で、に陸軍チームの選手としてノーヒットノーランを達成し、注目を集めた。
MLBシンシナティ・レッズと契約を結び、入団した。
4月18日の対フィラデルフィア・フィリーズ戦でMLB初登板。この年は2試合にリリーフで登板し、防御率15.75の成績でマイナーリーグに降格した。
からまでの4シーズンはマイナー(デトロイト・タイガースクリーブランド・インディアンス傘下のチームに移籍)、およびメキシカンリーグのみで登板した。
セントルイス・カージナルスで5年ぶりにMLBに昇格。主にリリーフで5勝5敗4セーブを挙げた。4月15日にはトレードヒューストン・アストロズへ移籍した。
アストロズ移籍2年目のに12勝10勝・防御率2.22の好成績を挙げ、には16勝11敗と勝ち星を伸ばし、オールスターゲームにも選ばれた。には防御率2.74ながら味方打線の援護が少なくて8勝11敗に終わると、この年限りでトレードでボルチモア・オリオールズへ移籍した。
オリオールズ移籍初年度のにはスクリューボールチェンジアップを武器として23勝11敗・防御率2.38の活躍でデニー・マクレーンとともにサイ・ヤング賞を受賞した。同賞初のラテンアメリカ出身選手の受賞となった。この年より東西2地区制が導入され、オリオールズはアメリカンリーグの東地区優勝を収め、リーグチャンピオンシップシリーズ第1戦の先発投手を務めた。チームはミネソタ・ツインズを下し、ワールドシリーズに進出した。ニューヨーク・メッツとのワールドシリーズでも第1戦で先発し、メッツ打線を1点に抑えて完投勝利を収めたが、これがチーム唯一の勝利となった。第4戦にも先発して7を投げて1失点に抑えるが、延長戦の10回に1-2でサヨナラ負けを喫し、第5戦にも敗れてワールドチャンピオンを逃した。
には24勝8敗・防御率3.48・190奪三振・リーグ最多21完投を記録し、最多勝のタイトルを獲得した。チームは2年連続で地区優勝を果たした。ツインズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは再び第1戦に先発。満塁本塁打を放つ。〔当時のアメリカンリーグは指名打者制度は未導入であった。〕終了時点で、両リーグを問わず、リーグチャンピオンシップシリーズ史上唯一の投手の満塁本塁打となっている。チームは10-6で勝ったが、自身は5回途中に降板したため、勝利投手にはなっていない。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは第2戦に先発。3回4失点で降板するが、チームは逆転勝利。3勝1敗とレッズを追い込んだ後の第5戦に再び先発して初回に3点を失うが、以後立ち直って9-3で完投勝利を収め、チームをワールドチャンピオンに導いた。
は20勝9敗・防御率3.08を記録。この年にチームメイトのデーブ・マクナリーが21勝、ジム・パーマーパット・ドブソンがそれぞれ20勝を挙げ、のシカゴ・ホワイトソックス以来のMLB史上2チーム目の1チームで20勝投手4人という快挙となった。5人体制の先発ローテーションが完全に定着し、全体でも20勝を挙げる投手が珍しくなった現在では、より一層記録更新が難しくなった記録である。この年もチームは地区優勝。オークランド・アスレチックスとのリーグチャンピオンシップシリーズ第2戦ではキャットフィッシュ・ハンターに投げ勝って勝利投手となった。ピッツバーグ・パイレーツにはワールドシリーズでは第3戦に敗れ、3勝3敗で迎えた第7戦でもパイレーツ打線を2点に抑えたが敗れ、2年連続のワールドチャンピオンを逃した。この年の秋にはオリオールズが日米野球で単独チームで日本を訪れている。
からまでの3年間は安定して20勝前後を記録した。と1974年には地区優勝するが、いずれもリーグチャンピオンシップシリーズで当時ワールドシリーズ3連覇を達成したアスレチックスに敗れた。
は4勝13敗に終わり、この年限りでフリーエージェント(FA)でカリフォルニア・エンゼルスへ移籍するが、2試合に登板した時点で放出され、現役を引退した。
に42歳で「現役復帰」し、プエルトリコウィンターリーグ"リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・プエルトリコ"とメキシカンリーグでプレーした。
オリオールズ野球殿堂入りを果たした。
キューバ野球殿堂入りを果たした。
現役引退後はフロリダ州オーランドに在住していた。2010年4月2日胃癌のため、死去
。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マイク・クェイヤー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mike Cuellar 」があります。




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