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マイク・スクワイアーズ(Michael Lynn Squires 、1952年3月5日 - )は、主に1970〜1980年代に活躍した元プロ野球選手。ポジションは、一塁手。アメリカ合衆国・ミシガン州カラマズー生まれ。左投げ左打ち。ニックネームは"Spanky"(スパンキー)。シカゴ・ホワイトソックスで主に一塁手として活躍したが、左投げは不向きとされる『三塁手』と『捕手』の両方のポジションを守った珍しい記録を持っている。 == 来歴・人物 == 1973年にドラフト指名でシカゴ・ホワイトソックスに入団し、1975年にメジャーデビューを果たす。1976,1977年はほとんどマイナーリーグで過ごし、レギュラーとして出場したのは1979年から1983年までの間だった。打率は毎年.260から.270くらいで長打のある打者ではなかったが、その守備の巧さを当時の監督トニー・ラルーサに評価されていた。後述の珍しい守備記録も、ラルーサの采配のもとで生まれたものである。 スクワイアーズは一塁手として9シーズンでおよそ700試合に出場しているが、通算での失策はわずか23だった。1981年には、88試合の出場だったがアメリカンリーグの一塁手としてゴールドグラブ賞を受賞している。 スクワイアーズが初めて捕手のポジションを守ったのは、1980年5月4日の対ブルワーズ戦のことである。ホワイトソックスが11-1と大量リードされた試合の最終回だったが、これは1958年のデール・ロング以来となる22年ぶりの『左投げ捕手』の出場記録となった。この年スクワイアーズは捕手として2試合に出場した。〔メジャーリーグでの左投げ捕手の出場記録は、1989年に当時ピッツバーグ・パイレーツの選手だったベニー・ディステファーノが、3試合に出場したのが最後である。〕 1983年シーズンは打率.222と打撃不振になり、その後は守備の交代要員としての出場が多くなった。1983年の8月23日の試合では、今度はスクワイアーズが三塁のポジションを守った。これはメジャーリーグ史上、少なくとも50年ぶり(それ以前の試合記録に欠落があり、特定できていない)となる『左投げ三塁手』の出場となった。1984年には一塁手だけでなく、三塁手で13試合(4試合先発)、外野手として3試合に出場、また同年1アウトだけだが投手としての出場もある。一塁以外のポジションでの失策は結局一度もなかった。 1985年シーズン前に一度ホワイトソックスを離れたが、9月に再度契約し2試合に出場したのが選手としての最後のキャリアである。引退後1989年から3年間トロント・ブルージェイズ、1992年に1年間ホワイトソックスのコーチを務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイク・スクワイアーズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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