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マイク・ブライアン(Mike ''Carl'' Bryan, 1978年4月29日 - )は、アメリカ・カリフォルニア州カマリロ出身の男子プロテニス選手。身長190cm、体重84kgで、右利き。双子の兄弟であるボブ・ブライアンとともに「ブライアン兄弟」のダブルスとして活動している。兄弟2人ともシングルスにはほとんど出場せず、ダブルスのみに活動を絞っている。 ダブルスでのキャリアゴールデンスラム達成者。ATPツアーでダブルス102勝を挙げている。ダブルスにおいて100勝達成はATPツアーで史上初めての快挙。マイクの優勝回数がボブの総計を2つ上回っているのは、2002年にマーク・ノールズ(バハマ)、マヘシュ・ブパシ(インド)と組んで1勝ずつ獲得したため。 == 来歴 == 1978年4月29日にアメリカ・カリフォルニア州カマリロで双子の兄弟が誕生した時、マイケル・カールは双子の兄として2分先に生まれた。ブライアン兄弟は両親ともにテニスのコーチで、双子の兄弟は2歳の頃から両親にテニスを学んだ。2人の兄弟は早くから、トーナメントのシングルスで「兄弟対決」を両親に禁じられてきたという。2人とも1997年から1998年の2年間スタンフォード大学に在学し、NCAA主催のテニス大会で活躍した。マイクもボブと同じ1998年からプロテニス選手に転向した。2001年から双子の兄弟のペアはATPツアーで優勝できる力をつけ、この年に年間4勝を挙げる。2001年全米オープンに出場し1回戦で第2シードのアンドレ・アガシに 4-6, 1-6, 0-6 で敗れる。これがマイク唯一の4大大会シングルス出場試合である。 2003年の全仏オープン男子ダブルスで、2人は4大大会男子ダブルス部門で初優勝を達成し、決勝で連覇を狙ったエフゲニー・カフェルニコフ(ロシア)&ポール・ハーフース組(オランダ)を 7-6, 6-3 で破った。同年に全米オープンでもダブルス決勝に進んだが、トッド・ウッドブリッジ(オーストラリア)&ヨナス・ビョルクマン(スウェーデン)組に 7-5, 0-6, 5-7 の逆転で敗れて準優勝になり、年間2冠獲得を逃している。この年は男子テニス年間最終戦「テニス・マスターズ・カップ」のダブルス部門でも、フランスペアのファブリス・サントロ&ミカエル・ロドラ組を破って初優勝を飾った。しかし、2004年の全豪オープン男子ダブルス決勝では、サントロ&ロドラ組に 6-7, 3-6 で敗れている。2人は2004年アテネ五輪のアメリカ代表選手にも選ばれたが、ここでは準々決勝でチリ代表のニコラス・マスー&フェルナンド・ゴンサレス組に敗退した。全米オープンは3回戦敗退に終わったが、テニス・マスターズ・カップで大会2連覇がある。 2005年のシーズンに、マイクとボブはすべての4大大会で男子ダブルス決勝に進出した。全豪オープン・全仏オープン・ウィンブルドンの3大会連続で準優勝止まりだった2人だが、全米オープンで4大大会ダブルス2勝目を達成する。2006年のウィンブルドンまで、2人は「7大会連続」で4大大会ダブルス決勝に出場した。全豪オープン決勝ではリーンダー・パエス(インド)&マルティン・ダム(チェコ)組を 4-6, 6-3, 6-4 で破って4大大会3勝目を獲得したが、全仏オープンではマックス・ミルヌイ(ベラルーシ)&ヨナス・ビョークマン組に敗れ、2年連続の準優勝で止まった。ウィンブルドンではファブリス・サントロ(フランス)&ネナド・ジモニッチ(当時セルビア・モンテネグロ国籍)組を 6-3, 4-6, 6-4, 6-2 で破り、男子テニス界では史上6組目となる「同一ペアによるキャリア・グランドスラム」を達成した。 2007年全豪オープン男子ダブルス優勝後、マイクとボブはしばらく好成績が減った時期もあるが、2008年北京五輪で男子ダブルスの銅メダルを獲得する。それから、2人は2008年全米オープンと2009年全豪オープンに連続優勝した。2009年3月6日-8日に行われたデビスカップ「ワールドグループ」1回戦で、アメリカはスイスを4勝1敗で下した。ブライアン兄弟はダブルス戦で、スイス・チームのスタニスラス・ワウリンカ&イブ・アレグロ組を 6-3, 6-4, 3-6, 7-6 で破り、デビスカップのアメリカ代表チームとして15勝目を挙げた。こうして2人はデ杯米国チームの「ベスト・ダブルス・チーム」になり、それまでの米国ダブルス歴代1位タイだったジョン・マッケンロー&ピーター・フレミング組(14勝1敗)とウィルマー・アリソン&ジョン・バン・リン組(14勝2敗)組を抜いた。 2012年7月のロンドン五輪男子ダブルス決勝でボブとマイクはフランスのジョー=ウィルフリード・ツォンガ&ミカエル・ロドラ組を 6–4, 7–6(2) で破り金メダルを獲得しキャリアゴールデンスラムを達成した。2012年全米オープン男子ダブルス決勝でリーンダー・パエス&ラデク・ステパネク組を 6-3, 6-4 で破り4大大会通算12勝目を挙げた。同一ペアとしてはウッディーズの11勝を更新しオープン化以降では1位になった。 マイク・ブライアンは混合ダブルスでは、2003年の全仏オープンと全米オープン、2012年ウィンブルドン選手権でリサ・レイモンドと組んで3勝を挙げている。レイモンドとはロンドン五輪混合ダブルスでも銅メダルを獲得している。 2002年の全米オープンではリサ・レイモンドと混合ダブルスのペアを組んだが、決勝でボブとネットをはさんだ“兄弟対決”になり、ボブとカタリナ・スレボトニクの組に勝利している。しかし、2001年のウィンブルドン混合ダブルスではリーゼル・フーバー(当時南アフリカ)と組んで準優勝に止まり、2008年のウィンブルドン混合ダブルス決勝で、マイクとボブは再びネットをはさんで対決した。マイクのパートナーはレボトニクで、マイクとスレボトニクはボブとサマンサ・ストーサー(オーストラリア)の組に敗れて準優勝になった。 2012年12月デビスカップでマーディ・フィッシュとペアを組み出場。ボブは欠場したため、2003年8月以来となるボブとマイクのランキングが異なることになり、2011年11月から続いていた世界ランキング1位記録が単独記録になった。 2014年全米オープンでは決勝まで順調に進出、マルセル・グラノジェルス・プジョル/マルク・ロペス組(スペイン)を6ー3,6ー4で下し、ダブルスとしてATPツアーにおいて史上初めて100勝を達成した。また、グランドスラム合計優勝回数19となりジョン・ブロムウィッチ、フレッド・ストールと並んで獲得回数歴代8位タイ記録となった。 また、10月からの上海マスターズでブライアン兄弟での900勝を達成。決勝でジュリアン・ベネトー/E・ロジェ=ヴァセラン(フランス)を6ー3,7ー6(7ー3)で勝利し、キャリアゴールデン・マスターズを達成した。 2015年全仏オープン混合ダブルスにてベサニー・マテック=サンズとペアを組み出場。全仏混合では自身12年ぶり2度目の優勝を果たす。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイク・ブライアン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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