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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
マイケル・ロイ・ブロワーズ(Michael Roy Blowers, 1965年4月24日 - )は、アメリカ合衆国の元プロ野球選手(内野手)。ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)バイエルン州ヴュルツブルク出身。 阪神タイガースでの登録名はマイケル・ブロワーズ。 == 来歴・人物 == 1986年のMLBドラフト10巡目でモントリオール・エクスポズに指名されて契約。8月29日に、ジョン・キャンデラリアとのトレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍。同年9月1日にメジャーデビューを果たす。 5月17日に、マイナー選手とのトレードでシアトル・マリナーズに移籍。マリナーズ時代は、ファンがファウルボールを取ろうとして身を乗り出した際に、勢いあまって買ったばかりのフライドポテトをフィールドへ落としてしまった事を気の毒に思い、ファンにフライドポテトをおごったところ、チームがサヨナラ勝ちをしたという逸話がある。には自己最多の134試合出場、23本塁打を記録したが、その年オフの11月29日に、ミゲル・カイロとウィリス・オタネズとのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースに移籍。 ドジャースからは1年でFAとなり、はマリナーズに復帰して1年間プレー。は再度FAでオークランド・アスレチックスに移籍し、3年ぶりに2桁本塁打をマークした。 1月に阪神タイガースに入団。2年契約で年俸は2億2,000万円。開幕直後の4月7日に一時帰国したが、帰国後は4番・三塁で出場を続け好調を維持していた。しかし6月に入ると調子を崩し、一時期スタメンを外されたこともあった。スタメン復帰後は7月に3試合連続で決勝適時打を放つなど復調の兆しも見られたが、オールスターゲームの前後から再び深刻な不振に陥った。元々ホームベースからかなり離れて立つバッティングフォームだったこともあり、外角に逃げるスライダー系の球に極端に弱かった。 8月1日の対横浜ベイスターズ戦で、2度の好機に凡退し、さらに6回表に失点につながる失策を犯したことから、その裏の打席を最後に平尾博司と交代させられる。6回の打席は併殺打だったが、監督の野村克也はこの打席の結果に関係なく7回の守備から平尾に代えることを決めていたという。結果的にこの試合が阪神での最後のスタメン出場となった。翌日の対中日ドラゴンズ戦では4回裏1アウト満塁の時、先発投手藪恵壹に代わる代打として出場したが、野口茂樹のスライダーに詰まらされ、結果は遊ゴロ併殺打に終わってしまった。 これらの不振に、契約条件に『ファームに落とせない』または『一軍以外ではプレーしない』という項目があったことで球団と対立していたことも重なり、2年契約の1年目のシーズン途中だったのにもかかわらず、8月4日に解雇された。これで阪神の外国人選手がシーズン中に解雇されたのは、のスコット・クールボー、グレン・デービス、のマイク・グリーンウェル、のアロンゾ・パウエルに続き4年連続となってしまった。野村が著した『あぁ阪神タイガース―負ける理由、勝つ理由』によれば、1998年のオフに「メジャーリーグを一度引退していたにもかかわらず阪神フロントが獲得した」という噂が囁かれている。 阪神退団後の1999年8月28日に三度マリナーズに復帰し、この年メジャーで19試合に出場したのを最後に引退。引退後はマリナーズのテレビコメンテーターとして活躍している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイク・ブロワーズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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