|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
マイク・マイニエリ(Mike Mainieri,1938年7月4日〔 - )はニューヨーク州ブロンクス出身で、ジャズ・フュージョンで活躍するヴィブラフォン奏者。NYCレコードの設立者でもある。 ジャズ界では少ないムッサー・グリップの奏者(ジャズではゲイリー・バートンが広めたバートン・グリップが主流)。ムッサー・グリップの弱点(音量が出ない)をエレクトリック・アタッチメントの併用で克服したシンセ・ヴァイブの第一人者でもある。代表作に「ラヴ・プレイ」がある。 == バイオグラフィ == 1938年7月4日にニューヨークに生まれる〔。12歳よりヴィブラフォンを学び、14歳でプロ・デビューしている。バディ・リッチのオーケストラに参加し、知名度を得た。1961年度のダウンビート誌の批評家投票でヴィブラフォン部門の新人賞に選ばれる。同年長期に及ぶ国務省派遣ツアーに参加するが外地で病に伏し演奏活動の中断を余儀なくされる。このブランクの後に初リーダー作「ブルース・オン・ジ・アザー・サイド」を発表(1962年録音)。この作品は長らく廃盤であったが1999年に復刻リリースされている。キャリアのほとんどでニューヨークを中心に活動しており、70年代始めにはブレッカー兄弟やスティーヴ・ガッド等とともにニューヨーク派フュージョンの先駆的グループ「ホワイト・エレファント」を主宰していた。このグループは流動的にメンバーが入れ替わるセッション的な活動を行なっていたため、その活動はほとんど知られることがなく、72年にアルバム1枚を発表して解散した。1977年に発表したリーダー作「ラヴ・プレイ」にはデイヴィッド・サンボーンやマイケル・ブレッカー、スティーヴ・ガッド、デヴィッド・スピノザ、ウィル・リー等の名手が参加しているが、発売当時は話題にはあがらなかった。 日本で知名度を得るきっかけとなったのは1978年にピアニスト/キーボーディストの深町純が中心となり結成された「ニューヨーク・オールスターズ」の日本ツアーにて、マイニエリの曲「ラヴ・プレイ」がフィーチャーされ、人気を集めたことである(「深町純&ニューヨーク・オールスターズ/ライヴ」収録)。これにより自己のアルバム「ラヴ・プレイ」も注目を浴び、1970年代後半のフュージョンを代表する一枚となる。 翌年にマイケル・ブレッカー、ドン・グロルニック、エディ・ゴメス、スティーヴ・ガッドと「ステップス」を結成し、日本のフュージョン界で活躍するギタリスト渡辺香津美をゲストに迎えたツアーで大評判を得る。またこのツアーが縁で1980年に、渡辺香津美の代表作のひとつとなる「TO CHI CA」をプロデュースしている。 ステップスは1983年にエレクトラ・レコードと契約し大きく進出しようとするが、既に同名のグループが存在していたため、「ステップス・アヘッド」と改名する。初期はアコースティック・ジャズをメインとしていたが、徐々にエレクトリック・ジャズ(フュージョン)へとシフトしていく。 1992年には自己レーベルNYCレコードを設立する。 2004年夏、日本で開催されたマウント・フジ・ジャズ・フェスティバルに出演するため限定的に「ステップス・アヘッド」を再結成。あまりにも好評であったので、その後世界ツアーを行った。2007年現在、僚友マイケル・ブレッカーを病で失いつつも、若干のメンバー変更を行いながらライブ活動を継続している。近年は、ソロ活動は少ないもののデイヴィッド・サンボーンの「クローサー」にゲストで出演。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイク・マイニエリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|