|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ラム : [らむ] 【名詞】 1. (1) lamb 2. (2) rump 3. (3) rum 4. (4) RAM (random access memory) 5. (P), (n) (1) lamb/(2) rump/(3) rum/(4) RAM (random access memory)
マイク・マッカラム(Mike McCallum、男性、1956年12月7日 - )は、ジャマイカのプロボクサー。身長182cm、リーチ198cm。元世界3階級制覇者(スーパーウェルター級、ミドル級、ライトヘビー級)。 ボディ打ちを得意とすることから、ボディを奪う者=ボディスナッチャーとの異名で呼ばれた。ボディスナッチャーとは本来「屍体泥棒」を指す語である。 == 来歴 == 1976年、ジャマイカ代表としてモントリオールオリンピックボクシングウェルター級に出場し、準々決勝で敗退した。 1981年2月19日、プロデビュー。 1982年11月13日、元WBA世界スーパーウェルター級王者アユブ・カルレ(ウガンダ)と対戦し、7回終了時TKO勝ち。 1984年10月19日、WBA世界スーパーウェルター級王座決定戦でショーン・マニオン(アイルランド)と対戦し、3-0の大差判定勝ち。全勝(22戦22勝)のまま世界王座を獲得した。 1986年8月23日、ジュリアン・ジャクソン(アメリカ)と対戦し、2回TKO勝ち。全勝同士の試合を制し、3度目の防衛に成功した。 1987年4月19日、元WBC世界ウェルター級王者ミルトン・マクローリー(アメリカ)と対戦し、10回TKO勝ちで5度目の防衛に成功。マクローリーの2階級制覇を阻止した。 1987年7月18日、元統一(WBA・WBC・IBF)世界ウェルター級王者ドナルド・カリー(アメリカ)と対戦し、5回KO勝ちで6度目の防衛に成功。カリーの2階級制覇を阻止した。 1987年8月、階級を上げるためWBA世界スーパーウェルター級王座を返上。 1988年3月5日、WBA世界ミドル級王者スンブ・カランベイ(イタリア)に挑戦し、0-3の判定負けで2階級制覇に失敗。プロキャリア初黒星を喫した。 1989年5月10日、WBA世界ミドル級王座決定戦でヘロール・グラハム(イングランド)と対戦し、2-1の判定勝ちで2階級制覇に成功した。 1990年2月3日、後の2階級制覇者スティーブ・コリンズ(アイルランド)と対戦し、3-0の判定勝ちで初防衛に成功した。 1991年4月1日、スンブ・カランベイと3年ぶりに再戦し、2-1の判定勝ちで雪辱を果たすとともに3度目の防衛に成功した。 1991年12月13日、IBF世界ミドル級王者ジェームズ・トニー(アメリカ)に挑戦し、1-1の判定ドローで王座獲得ならず。この試合は王座統一戦となるはずであったが、自身の持つWBA王座は試合前に剥奪された。 1992年8月29日、ジェームズ・トニーと再戦し、0-2の判定負けで王座獲得ならず。 1993年3月4日、階級を2つ上げWBC世界ライトヘビー級暫定王座決定戦でランドール・ヨンカー(アメリカ)と対戦し、5回TKO勝ちで3階級制覇に成功した。 1994年7月23日、WBC世界ライトヘビー級王座統一戦で正規王者ジェフ・ハーディング(オーストラリア)と対戦し、3-0の判定勝ちで正規王者となった。 1995年2月25日、カール・ジョーンズ(アメリカ)と対戦し、7回TKO勝ちで2度目の防衛に成功した。 1995年6月16日、ファブリス・ティオゾ(フランス)と対戦し、0-3の判定負けで王座から陥落した。 1996年11月22日、WBC世界ライトヘビー級暫定王座決定戦でロイ・ジョーンズ・ジュニア(アメリカ)と対戦し、0-3の大差判定負けで王座返り咲きならず。 1997年2月22日、WBU世界クルーザー級王座決定戦でジェームズ・トニー(アメリカ)と対戦し、0-3の判定負け。この試合を最後に引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイク・マッカラム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|