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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
"マッドドッグ" マイク・マーテル("Mad Dog" Michel Martel、本名:Michel Vigneault、1944年10月 - 1978年6月30日)は、カナダのプロレスラー。ケベック州ケベック・シティー出身のフランス系カナダ人。 元AWA世界ヘビー級王者リック・マーテルの実兄。カナダ各地やプエルトリコを主戦場に、ピエール・マーチンとのタッグチームなどで活動した。 == 来歴 == 1968年にカナダのオンタリオ地区でデビュー後、カルガリーのスタンピード・レスリングにてダニー・バビッチとのタッグチームで活動。1971年から1973年にかけて、ジョージ・ゴーディエンコ&スーパー・ホークなどのチームを破り、カルガリー版のインターナショナル・タッグ王座を再三獲得した。 1970年代中盤、同じケベック人であるピエール・マーチンとのフランス傭兵ギミックのタッグチーム、ザ・マーセナリーズ(''The Mercenaries'')を結成。1975年11月には、ザ・コンバット(''The Combat'')のチーム名でマーチンと共に国際プロレス『ビッグ・ウインター・シリーズ』に初来日。11月3日の後楽園ホールでの開幕戦でグレート草津&マイティ井上からIWA世界タッグ王座を奪取し、11月21日の水沢でのリターンマッチにも勝利して初防衛に成功。12月2日の横浜文化体育館での金網タッグデスマッチによる再度のリターンマッチで草津&井上に奪還されたものの〔『忘れじの国際プロレス』P102(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583620802)〕、一時はタイトルの海外流出が危ぶまれた〔DVD BOX『不滅の国際プロレス 1974-1981』DISC-2(2007年、ポニーキャニオン)〕。国際には翌1976年10月の『勇猛シリーズ』にもコンバットとして再来日し、王座返り咲きを狙って11月14日の足利と翌15日の愛知県体育館において、草津&井上に2日連続で挑戦している(愛知県体育館大会は金網タッグデスマッチで開催)〔。同シリーズには実弟のリック・マーテルも初来日していた。 1977年は旧パートナーのダニー・バビッチ(ダニエル・マンテル)と組み、プエルトリコのWWCにてカルロス・コロン&ホセ・リベラなどのチームとタッグ王座を争った。シングルでは1978年上期、古巣のカルガリーでレオ・バークから北米ヘビー級王座を奪取している。 その後、再びマーチンとのコンビで活動していたが、1978年6月30日、プエルトリコのポンセでの試合でインベーダー1号(ホセ・ゴンザレス)のパンチを心臓部に受け、試合後に心臓発作を起こし病院に搬送されたものの死去した。33歳没。なお、ホセ・ゴンザレスは1988年にもブルーザー・ブロディ刺殺事件を起こしたが、正当防衛として無罪判決を受けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイク・マーテル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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