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マイケル・コール・ムッシーナ(Michael Cole Mussina, 1968年12月8日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手。アメリカ合衆国ペンシルベニア州ウィリアムスポート出身。ニックネームは「Moose」。ムシーナとも表記される。 == 経歴 == === ボルティモア・オリオールズ === 1987年のMLBドラフトでボルティモア・オリオールズから11巡目に指名を受けるが契約せず、スタンフォード大学に進学。1990年のMLBドラフトでオリオールズから1巡目(全体20位)に指名を受け入団。 はAAA級ロチェスターで10勝4敗・防御率2.87の好成績を挙げてメジャーに昇格。8月4日のシカゴ・ホワイトソックス戦でメジャーデビューし、8回途中1失点と好投しながら援護がなく敗戦投手となる。同年は4勝5敗・防御率2.87を記録した。 は開幕から先発ローテーション入りし、開幕5連勝。6月16日のデトロイト・タイガース戦でメジャー初完封を挙げるなど前半戦で9勝をマークし、初のオールスターゲームに選出される。7月17日のテキサス・レンジャーズ戦でケビン・ライマーの二塁打のみで1安打完封勝利。シーズン通算で18勝5敗、キャリアハイの防御率2.54、リーグ1位の勝率.783を記録。サイ・ヤング賞の投票では4位に入った。 は5月16日のタイガース戦でボルティモア移転後の球団記録となる1試合14奪三振を記録するなど前半戦で10勝を挙げ、2年連続でオールスターゲームに選出されるが、7月22日から8月19日まで故障者リスト入り。14勝6敗・防御率4.46と成績を落とした。 は初の開幕投手を務め〔Baltimore Orioles Opening Day Starters and Results - Baseball-Reference.com 2008年3月29日閲覧.〕、前半戦で移転後の球団記録となる13勝を挙げ、3年連続でオールスターゲームに選出されるが、8月12日から1994年から1995年のMLBストライキに突入。そのままシーズンが打ち切られ、16勝5敗・防御率3.06の成績だった。サイ・ヤング賞の投票では4位。 は6月23日から8月2日にかけて自己最長となる8連勝を記録〔。後半戦で10勝4敗・防御率2.44の好成績で、19勝9敗・防御率3.29、リーグ最多の4完封を記録し、最多勝のタイトルを獲得した。 はリーグ最多の36試合に先発し前年と同じ19勝を記録したものの、防御率4.81、共にキャリアワーストの31被本塁打・264被安打と不安定だった。チームはワイルドカードを獲得し、ポストシーズンに進出。クリーブランド・インディアンズとのディビジョンシリーズでは第3戦に先発し、6回4失点で勝敗付かず。ニューヨーク・ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでも第3戦に先発したが、8回にセシル・フィルダーに本塁打を浴びるなど逆転を許して敗戦投手となり、チームも1勝4敗で敗退した。初のゴールドグラブ賞を受賞し、以後4年連続で受賞した。 は初登板では打ち込まれたが、その後8連勝を記録。5月30日のインディアンズ戦では9回1死までパーフェクトに抑えたが、サンディ・アロマー・ジュニアに安打を打たれて快挙を逃す。6月30日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で通算100勝を達成。この時点で敗戦数は43で、史上8番目に少ないものだった〔。前半戦で10勝を挙げ、3年ぶりにオールスターゲームに選出されるが登板機会はなかった。後半戦は5勝に留まるが、15勝8敗・防御率3.20、移転後の球団記録となる218奪三振を記録し、14年ぶりの地区優勝に貢献。シアトル・マリナーズとのディビジョンシリーズでは第1戦と第4戦に先発し、共にランディ・ジョンソンに投げ勝つ。インディアンズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し7回を投げて2安打1失点、シリーズ記録の15奪三振と好投を見せるが〔勝敗付かず、チームは延長で敗れる。第6戦でも8回1安打無失点10奪三振と好投するが、またも援護がなくチームは延長の末に敗れ、2勝4敗で敗退した。オフに球団と市場価値より低い金額で3年契約を結んだ〔。 8月4日のタイガース戦で8回2死までパーフェクトに抑えるも、フランク・カタラノットに二塁打を浴びる。故障もあって13勝に留まった。は4月21日のタンパベイ・デビルレイズ戦で自身ワーストの10失点。前半戦で11勝を挙げ、2年ぶりにオールスターゲームに選出される。8月から9月にかけて故障者リスト入りするが、18勝を記録。サイ・ヤング賞の投票では満票で受賞したペドロ・マルティネスに次ぐ2位だった。 は開幕から勝利に恵まれず、チーム低迷の原因となった〔「各球団マンスリー・リポート ボルチモア・オリオールズ/不振から抜け出せないムシーナ エリクソンは右ヒジ手術から復帰」『月刊メジャー・リーグ』2000年7月号、ベースボールマガジン社、2000年、雑誌 08625-7、42項。〕。8月1日のミネソタ・ツインズ戦で1安打15奪三振完封勝利、9月24日のボストン・レッドソックス戦でも7回15奪三振を記録する。リーグ最多の237.2イニングを投げ、リーグ3位の防御率3.79をマークするものの、援護点がリーグワーストで11勝15敗とデビュー年以来の負け越しとなった。オフにフリーエージェント(FA)となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイク・ムッシーナ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mike Mussina 」があります。 スポンサード リンク
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