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マイケル・ジョーダン : ミニ英和和英辞書
マイケル・ジョーダン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マイケル・ジョーダン : ウィキペディア日本語版
マイケル・ジョーダン[ちょうおん]

マイケル・ジェフリー・ジョーダン(, 1963年2月17日 - )は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手。NBAシカゴ・ブルズワシントン・ウィザーズでプレーした。その実績からバスケットボールの神様とも評される〔1986年、当時のプレーオフ記録となる63得点を上げたジョーダンに、対戦したボストン・セルティックスラリー・バードは、試合後に"God disguised as Michael Jordan."(彼はマイケル・ジョーダンの姿をした神だ)と述べている。〕。
15年間に亘る選手生活で得点王10回、年間最多得点11回、平均得点は30.12点でNBA歴代1位、通算得点は32,292点で歴代4位。1990年代にシカゴ・ブルズを6度の優勝に導き、5度のシーズンMVP、6度のNBAファイナルMVP受賞。また、1984年のロサンゼルスオリンピックと、1992年のバルセロナオリンピックにおいてアメリカ代表ドリームチーム)の一員として2度にわたり金メダルを獲得した。現役時代の背番号23シカゴ・ブルズマイアミ・ヒートノースカロライナ大学永久欠番。1996年、NBA50周年を記念したNBA50周年記念オールタイムチームの一人に選出。2009年にはバスケットボール殿堂入りした。
現役引退後、2010年にシャーロット・ボブキャッツ(現・シャーロット・ホーネッツ)を買収し、現在は実業家として同チームの筆頭オーナーを務めている。〔ジョーダン氏がボブキャッツ買収=元選手の筆頭オーナーは初-NBA 、時事ドットコム、2010年3月18日。〕。
== プレイスタイルと実績 ==
; ポジションと得点力
2シーズン弱の引退期間を除いて入団から(1984年)二度目の引退(1998年)までの13シーズンをシカゴ・ブルズで過ごした。ポジションはシューティングガード(以下SGと表記)を務めていたが、ポイントガードやスモールフォワードでも難なくプレイできるオールラウンダーであった。
*シーズン得点王‐‐通算10回
*通算29,292得点‐‐歴代第4位
*一試合平均31.5得点‐‐歴代第1位
二度目の引退を表明した1997‐98シーズン終了時点で上述の輝かしい記録を保持していた。
; 得点パターン
インサイドでは華麗なムーヴから生み出すダンク、独創的なステップから繰り出すレイアップを多用。アウトサイドでは長い滞空時間を活かして流麗なフォームからジャンパーを放つなど、幅広いオフェンススキルを駆使して得点を量産した。
初期のジョーダンのトレードマークは“Air”と形容される豪快なダンク、空中で体勢を変えてディフェンダーをかわすダブルクラッチなど、ほかの選手が決して真似できない空中でのプレイであった。加齢に伴い運動能力が低下したキャリア後期にはディフェンダーから遠ざかりつつ放つフェイドアウェイを必殺武器にしてミドルレンジから得点を奪った。プレイスタイルに変化はあったが、キャリアを通じて得点能力の高さは維持された。
一方で長距離シュートを担うSGでありながら、スリーポイント試投数・成功数は多くなかった。成功数が100本を超えたのは2シーズンのみ(1995-961996-97)。名シューターと謳われる選手のほとんどがキャリアで1,000本以上を記録する昨今において、ジョーダンの通算成功数は581本(レギュラーシーズンに限定)と決して多くない。また1990年のオールスター前夜祭のスリーポイントコンテスト出場時には、歴代最小の5本に終わる。
; 大舞台での実績
大舞台での驚異的な勝負強さもジョーダンの特徴のひとつである。プレイオフの緊迫した状況での活躍は数々の名場面を生み出し、その度に勝利を勝ち取る姿はファンの記憶に残ることとなった。体調不良の中でも、フラフラになりながらチームを勝利に導いたり、相手チームから徹底マークされても闘志をむき出して闘ったり、まさに勝負の鬼とも言える活躍であった。ゲーム自体を俯瞰できるのではないかと思わせるほど勝負所を見据えて、特に終盤になるほど得点を重ねる姿は圧巻の一言で、歴代でも並ぶものがいないほどのクラッチシューターである。
ジョーダンは6度のNBA優勝(1991年-93年1996年-98年)を勝ち取り、5度のレギュラーシーズンMVPに輝いた(1988年、1991年、1992年、1996年、1998年)。1985年にはルーキー・オブ・ザ・イヤー新人王)を獲得。6度の優勝の際にはそれぞれファイナルMVPを受賞した。ジョーダンはレギュラーシーズン、ファイナル、オールスターのMVP三冠を1996年と1998年に2度達成している。他にMVP三冠を達成したプレイヤーは、1970年ウィリス・リード2000年シャキール・オニールだけである。
; ディフェンダーとして
オフェンス面で卓越していただけでなく、リーグ屈指の優秀なディフェンダーでもあった。1988年以降は、引退していたシーズンを除いて1998年まで9回オールNBAディフェンシブ1stチームに選出されている。1988年にはシーズンMVPと最優秀守備選手を同時受賞した。最も目立つのはキャリア通算2514スティールで、これはジョン・ストックトンに次ぐ歴代2位(現在はジェイソン・キッドに更新され3位)、1試合平均で2.35スティールは(クリス・ポールに更新されたが)歴代5位の記録(なおストックトンの一試合平均は2.17で確率はジョーダンの方が高い。ストックトンの平均確率は2013年時点で9位)。キャリア初期は、その跳躍力に物を言わせてガードとしては異例の1試合平均1本以上のブロックショットを記録していた。NBAの重鎮ジェリー・ウェストをして、「ジョーダンのディフェンス能力はオフェンス以上に強烈だった」と言わしめるほどであった。1998年のNBAファイナル第6戦のウィニングショットも、ユタ・ジャズカール・マローンからのスティールから生まれた。リバウンドでも1試合平均で6.2本と、同ポジションとしては非常に高い数字を残している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マイケル・ジョーダン」の詳細全文を読む




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