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マイケル・ベーエ : ミニ英和和英辞書
マイケル・ベーエ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マイケル・ベーエ : ウィキペディア日本語版
マイケル・ベーエ[ちょうおん]

マイケル・J・ベーエ(Michael J. Behe、1952年 - )はアメリカ合衆国生化学者インテリジェント・デザイン支持者。マイケル・ビーヒーと訳されたこともある。
リーハイ大学の教授で、インテリジェント・デザイン運動を主導するディスカバリー・インスティチュートの「科学と文化センター」シニア研究員である。彼は生化学レベルでは進化の結果としては十分説明できないほど複雑な構造が存在すると言う概念を「還元不能な複雑さ(Irreducible complexity)」と呼び、進化への反証であると主張している。彼の細胞構造の還元不能な複雑さの主張は科学界で激しく議論された。リーハイ大学の生物科学部は次のように公式な立場を表明した。「インテリジェント・デザインは科学を基盤としておらず、実験的に検証されておらず、科学であると考えられてはならないというのが我々の総意である」〔Department Position on Evolution and "Intelligent Design" , Lehigh Department of Biological Sciences〕。ベーエのインテリジェント・デザイン(以下ID)についての主張はニセ科学として科学界から拒否された〔Debating the Merits of Intelligent Design 〕〔Why Evolution Must Not Be Ignored 〕〔The "Intelligent Design" Hoax 〕 。ベーエはペンシルベニア州ドーバー学区で2005年に行われた進化論裁判で被告側(ID側)の専門家として証言台に立ち〔s:Kitzmiller v. Dover Area School District/4:Whether ID Is Science#Page 70 of 139〕〔s:Kitzmiller v. Dover Area School District/4:Whether ID Is Science#Page 79 of 139〕、彼の証言は裁判官によって「科学ではなく本質的に宗教である」と指摘された〔s:Kitzmiller v. Dover Area School District/2:Context#Page 28 of 139〕〔s:Kitzmiller v. Dover Area School District/4:Whether ID Is Science#Page 68 of 139〕〔s:Kitzmiller v. Dover Area School District/6:Curriculum, Conclusion〕。
既婚者で、9人の子どもがいる。
== 経歴 ==
ペンシルベニア州ハリスバーグで生まれた。教区付属小学校、カトリック系の高校に通ったあと、ドレクセル大学1974年化学の学士を、1978年ペンシルベニア大学鎌状赤血球に関する論文で生化学の博士号を取得した。1978年から1982年まで彼はポストドクトラルフェローとしてアメリカ国立衛生研究所DNA構造に関する研究を行った。1982年から1985年までニューヨーク市クィーンズ・カレッジで化学の助教授を務め、その時代に妻のセレストと出会った。1985年にリーハイ大学に移り、以来生化学の教授をつとめている。進化に関するベーエの見解に対して、リーハイ大学はウェブサイトで次のように声明を公表している。
ベーエ自身に依れば、彼は一度完全に進化の科学理論を受け入れたが、マイケル・デントン(ID運動の指導者のひとり)の『進化:危機にある理論』を読んで進化に疑問を持ち始めた。その後、生化学のレベルで「還元不能な複雑」なシステムの証拠があると考えるようになった。そのような複雑な構造を持つシステムは自然選択によって進化することはできずに、「インテリジェント・デザイナー」によって創造されたとしか思えない、と彼は考えた。
1987年の裁判でアメリカ連邦最高裁判所創造科学を公立学校の授業から追放し、進化学の科学的有効性を教えることを支持した。何人かの創造論者は宗教的な概念を理科教育に持ち込むためには新たな戦略と用語が必要だと感じた。彼らが執筆した高校生向けの副読本『パンダと人間』(''Of Pandas and People'')で創造論という用語はインテリジェント・デザインと変えられた。
法律家フィリップ・ジョンソンは著書『有神論のリアリズム』で「若い地球の創造論(地球は6000年前に創造されたという創造論の一派)」を率直に表明することを避け、「唯物論的な」科学を基盤とした進化理論を批判することだけに注力し、学校で創造論を教えることを合法化させようと試みた。1992年南メソジスト大学の評議会はベーエを他の主要な人物と共に呼び、ジョンソンが後に「くさび戦術」と呼んだ試みを導入した。彼らは1993年モントレー湾の別荘地パハロ・デューンズで会合した。ベーエはそこで初めて「還元不能な複雑さ」をもつ分子メカニズムのアイディアを披露した。1995年の「唯物論の死と文化の再生」会議の後で、グループはディスカバリー・インスティチュートから資金提供を受けた。1996年にベーエはIDを推進するディスカバリー・インスティチュートの「科学の再生と文化センター(後に”科学と文化センター”に改称)」のシニア研究員となった〔"Our strategy has been to change the subject a bit so that we can get the issue of intelligent design, which really means the reality of God, before the academic world and into the schools." — ''Phillip E. Johnson, American Family Radio, January 10, 2003'' p. 4〕。
同年、ベーエは著書『ダーウィンのブラックボックス』の中で「還元不能な複雑さ」を発表した。それは科学界から拒否された。科学者は、ベーエの議論と例証が、自然のプロセスに基づく進化が実証的に不可能であると示さずに、形が変わっただけの「無知論証(「私にはXはYだなんて信じられ/考えられない。従ってXはYではない」)」に基づいていると指摘した〔"...Free Press publishes nonfiction and fiction for the general reader in hardcover and paperback."Publishing Divisions and Imprints , Simon & Schuster〕。また同僚の科学者による査読を避け、彼の声明を支持する新しい研究を行わず、科学的手法の通常の手続きにも従わずに、非科学者である一般大衆に向けて意見を宣伝したと批判された〔Review of Michael Behe, ''Darwin's Black Box'' (1998) 〕 。
それでもベーエの生化学者の肩書きはIDにとって重要な支援となっている。かれはしばしば進化に反対する有力な生物学者として紹介される。ベーエは明らかに宗教的な動機を持ったID支持者とは距離を置いている。しかし彼はインテリジェント・デザイナーに関するいかなる性質への言及も拒否しており、科学者はそれをIDの主張が検証されるいかなる可能性も回避しようとする試みだと見なす〔。彼はウィリアム・デムスキーらと異なり〔William Dembski and John Haught Spar on Intelligent Design (archived)〕、人と他の霊長類を繋ぐ祖先を含む、種の「共通祖先」を受け入れている。しかし彼は共通祖先の概念だけで種の違いを説明することはできないと主張する。また地球と宇宙の年齢について、科学的なコンセンサスを受け入れている。
1996年にリチャード・ドーキンスはインタビューで次のように述べた。
:彼は率直な創造論者である。彼がしたことは19世紀に遡る典型的な議論、還元不可能な複雑さという議論、特定の器官、特定のシステム、特定の情報がそろっていなければシステム全体が稼働しないという議論である......のように。ダーウィンは(それに)一つ一つ、一点一点答えた......。しかしたぶん彼は気にしていなかっただろう。たぶん彼が言うべきだったことはこうだろう.....あなたは眼がどのようにして段階を追って形成されたかを考えるにはちょっと鈍すぎる。だから少しそこから離れて、まじめに考えてみるべきだ〔Richard Dawkins on Evolution and Religion 〕。
1997年2,3月にボストンレビュー誌でラッセル・ドゥーリトル教授はベーエが主張するいくつかのシステムの「還元不能な複雑さ」、特に血液凝固の「デリケートなバランス」の主張に対する反論を書いた〔〕。のちの2003年に、ドゥーリトルの研究室は査読付き学術誌『米国科学アカデミー紀要』に論文を発表し、フグが少なくとも三つの血液凝固因子を欠いているのにもかかわらず機能するシステムを維持していることを証明し、血液凝固が還元不能な複雑さを持つというベーエの著書のカギとなる主張に反論した。
ロバート・ペノックによる書評に対してベーエは、創造科学に関係していたり、読者が聖書直訳主義や「若い地球の創造論」の言い換えだと考えている種類のインテリジェント・デザインのグループに反対した。2001年にペノックは、彼らの意見を正しく代表するべきだと応じた。ID運動の何人かの指導者が若い地球の創造論者であったが、ベーエを含む他の人々は古い地球論(地球は45億年前に誕生したとする仮説)を支持しており、「種の起源の科学的な、進化的な説明を拒絶し、それを特殊創造説と置き換えたいと望む創造論者」であった。
== ベーエとスノーク ==
ベーエは物理学者デイビッド・スノークとともに学術誌『蛋白質科学』(''Protein Science'')に共著論文を発表し、進化が成り立つために要求される突然変異の可能性の計算に基づいて、還元不能な複雑さを支持すると述べた。しかし論文はIDに触れず還元不能な複雑さにも深入りしない。ベーエによれば、それは査読者の要求で取り除かれた。それでもディスカバリー・インスティチュートはその論文を「ID理論を支持する査読付きの科学論文」にリストしている〔Peer-Reviewed & Peer-Edited Scientific Publications Supporting the Theory of Intelligent Design (Annotated) , Discovery Institute〕。
遺伝学者マイケル・リンチは蛋白質科学誌上で彼らと議論を行った。多くの科学者が研究の偽りを暴いた。彼らは「還元不能な複雑な構造」が実際には進化可能であり、しかもそれが適当な時間さえあればかなり厳しい制限のもとでも可能なことを示した。また批判者は彼らの論文が自然選択と遺伝子の冗長性を考慮していないことを示した。何人かの批評家はディスカバリー・インスティチュートがこの論文を、デザイン理論に触れておらず、デザインプロセスの定式化もしておらず、したがって進化の代替理論を提供していないのに、公刊された「デザインの証拠」として主張し続けていることを指摘した〔Theory is as Theory Does Ian F. Musgrave, Steve Reuland, and Reed A. Cartwright, Talk Reason〕。ベーエの主張の多くは敬虔なローマ・カトリックである生物学者ケネス・ミラーの著書『ダーウィンの神を見つける』で異議を申し立てられた。ベーエはその後エッセイでミラーの指摘に反論した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マイケル・ベーエ」の詳細全文を読む




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