|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
マイケル・マクファーレン(Michael Anthony McFarlane、1960年5月2日 - )は、イギリスの陸上競技選手。1988年ソウルオリンピックの銀メダリストである。 == 経歴 == マクファーレンは、1978年のカナダのエドモントンで開催されたコモンウェルスゲームズに出場。100mでは決勝に進出し、10秒29で5位。200mは準決勝に進出したものの棄権している。翌1979年のヨーロッパジュニア選手権では200mでの金メダルをはじめ3つのメダルを獲得した。 1980年には初めてのオリンピックとなるモスクワオリンピックに出場。200mは2次予選で敗退したものの、4×100mRでは決勝に進出。しかし、3位のフランスに100分の9秒及ばず4位と惜敗した。 マクファーレンは、1982年の英国の200mのチャンピオンとなる。同年のオーストラリアのブリズベンで開催されたコモンウェルスゲームズでは、100m、200mと4×100mRの3種目に出場。100mと4×100mRは5位に終わったものの、200mは、20秒43の記録で、モスクワオリンピック100m金メダルのスコットランドのアラン・ウェルズと同着で金メダルを分け合った。翌1983年、フィンランドのヘルシンキで開催された第1回世界選手権では、4×100mRのメンバーとして出場しているが準決勝で敗退した。 1984年にはロサンゼルスオリンピックに出場。100mは決勝進出を果たしたものの5位。さらに4×100mRには、ウェルズと、十種競技のデイリー・トンプソンの2人の金メダリストを擁して挑んだが7位と振るわなかった。 1986年、スコットランドのエジンバラで開催されたコモンウェルスゲームズに出場。100mでは、カナダのベン・ジョンソン、イングランドのリンフォード・クリスティに次いで3位となり銅メダル。4×100mはクリスティのいないイングランドチームで挑み39秒19で銀メダルを獲得した。コモンウェルスゲームズから4週間後には西ドイツのシュトゥットガルトで開催されたヨーロッパ選手権にも出場。100mでは10秒29で6位に終わったものの、4×100mRは38秒71でソ連、東ドイツに次いで3位となり銅メダルを獲得した。翌1987年、イタリアのローマで開催された世界選手権では、100mと4×100mRに出場。100mは準決勝で敗退。4×100mRは予選で失格となっている。 マクファーレンにとって、最後のオリンピックとなった1988年ソウルオリンピックでは4×100mRに出場。エリオット・バニー、ジョン・レジス、リンフォード・クリスティとともに挑んだレースで、38秒28のタイムでソ連に次いで銀メダルとなり、初めてで唯一となるオリンピックのメダルを手にした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイケル・マクファーレン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|