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マイケル・マナ(''Michael Manna''、1971年10月9日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。スティービー・リチャーズ(''Stevie Richards'')のリングネームで知られる。 == 来歴 == アイアン・マイク・シャープがニュージャージー州にて主宰するレスリングスクールに入門。1992年2月25日、ECWにてプロレスラーデビューを果たす。1995年、レイヴェンの部下として活動。1996年、nWoのパロディ集団bWoを結成。自身はケビン・ナッシュのギミックのパロディであるビッグ・スティービー・クール(''Big Stevie Cool'')を演じた。1997年、レイヴェンに続いてWCWへ移籍したが、WCWでの活躍は振るわずすぐにECWへ復帰。1998年にはIWAジャパンに初来日した。 1999年にWWFへ移籍。当初はbWo時代と同様にレスラーの物真似をするコミカルなキャラクターだったが、2000年よりリングネームをスティーブン・リチャーズ(''Steven Richards'')に変更し、WWFの風紀検閲活動を行うユニットRTCを結成。ブル・ブキャナン、ザ・グッドファーザー、バル・ビーナス、アイボリーらをメンバーに、ヒールの主力ユニットとして活動した。 2001年のWWF対WCW・ECW連合軍(アライアンス)の抗争アングルではアライアンス側に所属。クロニック(ブライアン・アダムス&ブライアン・クラーク)のマネージャーを担当した。 アライアンスのストーリー終結後はハードコアマッチ戦線での活動を経て、2002年末よりビクトリアとのコンビでサイコ系のキャラクターに変身。2003年下期からはRAWの前座番組であるヒートを主戦場とし、スティービー・ナイト・ヒート(''Stevie Night Heat'')を名乗った。RAW出演の際は主にジョバーとして登場し、クリス・マスターズのRAWデビュー戦の相手も務めている。 2005年のWWE ECW's One Night StandにてbWoが再結成されると、スマックダウンに移籍してbWoのリーダーとなり、メキシクールズと抗争。同年7月のグレート・アメリカン・バッシュでメキシクールズに敗れると、再びbWo以前のギミックに戻り、スマックダウンの前座番組ヴェロシティへ活動の場を移していった。 2005年後半からリングに登場する機会が減るが、2006年3月のサタデー・ナイト・メイン・イベントに際してシェイン・マクマホンのスパーリング・パートナーを担当。同年、WWE内の第3ブランドとしてECWが復活すると、リングネームをスティービー・リチャーズに戻して移籍した。 2007年はケビン・ソーンとミニ抗争を展開。2008年にはECW第100回目の放送でゲスト解説にも入ったが、8月にWWEを解雇された。その後はTNAでドクター・スティービー・リチャーズ(''Dr. Stevie Richards'')として活動。2010年7月より、ミック・フォーリー、ロブ・ヴァン・ダム、レイヴェン、トミー・ドリーマー、ライノ、チーム3D、アル・スノーらとTNA版ECWオリジナルズであるEV 2.0(Extreme, Version 2.0)を結成した。 2011年、TNAから離脱。5月にLucha Libre USAにヒールとして参戦し、アンチ・メキシコユニットに加入。7月にはリングデビューしてロッキー・ロメロと対戦した。 2012年、Extreme Risingやフロリダ州を拠点とするCCWやICWに参戦。10月にはアメリカン・チャンピオンシップ・プロレスリング(ACPW)に参戦し、アラミヲを破りACPWヘビー級王座を獲得。11月と12月にはExtreme Risingにて行われた初代Extreme Rising世界王座を争うトーナメントに出場。決勝まで進み、決勝ではライノを破り初代王者となる。 2013年、サウザン・チャンピオンシップ・レスリング・フロリダ(Southern Championship Wrestling Florida)のメインイベントでDWEヘビー級王者のリコ・カサノバとチャンピオン vs チャンピオンマッチ(ダブルタイトルマッチ)を行うが乱入に遭い試合はノーコンテストとなった。また、SCWヘビー級王座,、ACPWヘビー級王座、Extreme Rising世界ヘビー級王座の3王座を同時に保持するようになる。Extreme Rising世界ヘビー級王座をDWAのWrestling Legends Tour 2013ツアー中にDWAライトクルーザー級王者のタルカンを相手に防衛。その後もタイトルの防衛戦を繰り返しており、4月にはレイヴェンを相手にタイトルの防衛戦をしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイケル・マナ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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