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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
マイソールサウンドは日本の元競走馬で、京都競馬場に所属する誘導馬。競走馬時代はマイルから長距離までこなすオールマイティーな馬だった。 == 経歴 == === 現役時代 === 2001年11月24日に中京競馬場の新馬戦でデビュー。5番人気であったが見事に勝利を挙げた。しかし2勝目までに半年を要し、翌2002年の皐月賞や日本ダービーに出走することは叶わなかった。その後、条件戦を連勝し秋には重賞初挑戦となる神戸新聞杯に出走したが12着と大敗。結局クラシック競走には出走できなかったものの、格上挑戦となった年末の中日新聞杯で重賞初制覇を達成した。 翌2003年初戦の日経新春杯は9着だったが、次走の京都記念で重賞2勝目を挙げる。その後、大阪杯4着、金鯱賞6着を経て初めてのGIとなる宝塚記念に出走。果敢に逃げたものの16着と大敗した。秋にはマイルチャンピオンシップにも挑戦したが11着、連覇を狙った中日新聞杯も4着に終わる。 2004年は年明けの京都金杯で重賞3勝目を挙げると、中山記念4着を挟んでマイラーズカップで重賞4勝目。しかしGI戦線では苦戦が続き、安田記念は15着、天皇賞(秋)も15着、マイルチャンピオンシップ13着と2桁着順の繰り返しであった。 2005年、日経新春杯7着、京都記念4着の後、阪神大賞典に出走。3000m級の長距離レースは初めてであったが見事に勝利、重賞5勝目となった。しかし天皇賞(春)は8着に終わる。この頃から、それまでのマイル路線から中長距離路線に移行し、秋にはジャパンカップや有馬記念にも出走したが見せ場は作れなかった。 2006年頃からは明らかに成績が下降線を辿り、函館記念や札幌記念等のGII・GIIIレベルのレースでも大敗を続けるようになってしまう。この年には生涯唯一となるダート戦のジャパンカップダートにも出走したがやはり15着と大敗した。 2007年も現役を続け、天皇賞(春)や宝塚記念に出走したが復活の勝利を挙げることはできなかった。同年9月、右前脚に故障を発生し2007年9月20日付でJRA競走馬登録を抹消された。 重賞5勝馬ながら、母の父がサンデーサイレンスということで配合が限られることも影響し、亡きタマモクロスの後継種牡馬とはなれなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイソールサウンド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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