|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
マイネルアワグラスは日本の競走馬。馬名は冠名+砂時計。サラブレッドクラブ・ラフィアンの出資馬であり、募集価格は2800万円(100口)。 == 経歴 == 2006年9月24日、中山競馬の2歳新馬戦(芝1800m)でデビュー。騎手は柴田善臣で、2番人気であったが9着と敗れた。続く2戦は3着、2着と敗れたが、12月24日の2歳未勝利戦でようやく初勝利を挙げた。しかし、その後も伸び悩み、2勝目は翌2007年5月19日の500万下条件戦まで待たねばならなかった。 2007年7月11日、大井競馬場でのジャパンダートダービー(JpnI)に出走。中央、地方を含めた重賞初挑戦であったが、フリオーソの4着と敗れた。、その年の秋の赤富士特別、北総ステークスと準オープン競走を連勝して地力アップの気配が見え始める。 2008年10月4日、シリウスステークスGIII)に出走、公営愛知県競馬組合所属の吉田稔を鞍上に迎え、6番人気ながら最後の直線で鋭く伸び、1番人気のワンダースピードを頭差抑えて重賞初勝利を飾った。続くブラジルカップでは1番人気に支持され、中団から直線で伸び、ニシノナースコールなどの追撃を振り切って2連勝した。続くベテルギウスステークスでは人気通りの3着と好走した。 明け5歳緒戦は2009年1月4日の門松ステークスに出走、直線で先頭に立つもダークメッセージとの競り合いに敗れ2着になった。続く1月25日の平安ステークスGIII)では6着だった。続くダイオライト記念(JpnII)ではフリオーソの4馬身差の2着に敗れた。その後、休養を挟んで第21回ブリーダーズゴールドカップ(JpnII)に出走したが、人気通りの5着に敗れた。その後、連覇がかかったブラジルカップに出走したが3着に終わった。続くベテルギウスステークスでは後方から追い上げるも6着に終わった。続く名古屋グランプリ (JpnII) ではマコトスパルビエロの3着に入った。 明け6歳緒戦は2010年1月27日の川崎記念(JpnI)だったが、ヴァーミリアンの5着に終わった。続くアルデバランステークスでは後方から追い込んで3着に入った。続くダイオライト記念(JpnII)ではフサイチセブンの2馬身半差の2着に敗れた。その後、新馬戦以来の芝のレースとなった日経賞では見せ場なく9着に敗れた。一息入れて8月12日のブリーダーズゴールドカップ(JpnII)に出走、中団から徐々にポジションを上げ4コーナーで一旦先頭に立つも直線でシルクメビウス、カネヒキリにかわされ3着となった。10月2日のシリウスステークス (GIII) では中団後方から追い上げるも5着、10月24日のブラジルカップでは1番人気に支持されたが後方追走のまま10着、ベテルギウスステークスでは後方から追い上げるも5着、12月23日の名古屋グランプリ (JpnII) では1番人気に支持されたが4着と惨敗が続いた。 明け7歳緒戦は2011年2月11日の佐賀記念 (JpnIII) 、後方追走も見せ場なく7着。続く4月10日のマーチステークス (GIII) では12着と惨敗が続いていたが、5月8日のブリリアントステークスでは10番人気であったがキクノアポロの3着に入った。5月22日の東海ステークス (GII) では見せ場なく13着。その後、休養を挟んでステイヤーズステークス (GII) に出走したが10着と惨敗。12月23日の名古屋グランプリ (JpnII) では中団から追い込んで3着に入った。 明け8歳緒戦は2012年1月25日の川崎記念(JpnI)、中団から追い上げるも4着に敗れた。続く2月8日の佐賀記念 (JpnIII) では先行して3着と好走した。続く3月25日のマーチステークス (GIII) では後方追走のまま見せ場なく12着。5月6日のブリリアントステークスでは向正面で後方から2番手まで一気に進出したがソリタリーキングの4着に敗れた。シリウスステークスでは12着、ブラジルカップは6着に敗れた。 2013年は平安ステークスに出走し11着。これを最後に5月24日付けで競走馬登録を抹消された。引退後は千葉県のエバーグリーンホースガーデンで乗馬になる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイネルアワグラス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|