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マイネルスマイル : ミニ英和和英辞書
マイネルスマイル
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マイネルスマイル ( リダイレクト:サクラロータリー#マイネルスマイル ) : ウィキペディア日本語版
サクラロータリー

サクラロータリー1984年2月2日 - 2013年12月)は日本競走馬種牡馬
1986年に中央競馬でデビュー。初戦から連勝し、同期馬中の筆頭格に挙げられたが、故障により3戦3勝の成績で引退。その後は種牡馬として一時人気を集めたが、中央の重賞勝利馬を出すことはなかった。本項では後継種牡馬マイネルスマイルについても詳細を記述する。
== 経歴 ==
1984年、北海道静内町の原武久牧場の生産。父は当時すでに中央競馬史上3頭目のクラシック三冠馬ミスターシービーなどを出していたトウショウボーイ、母の父は史上2頭目の三冠馬シンザンであった。
1986年9月のデビュー以来新馬、特別戦をいずれも3歳馬離れした走りぶりで連勝し、この時点で3歳馬の筆頭格、翌年の東京優駿(日本ダービー)優勝候補の呼び声も高かった〔『優駿』1987年1月号、p.96〕。3戦目の府中3歳ステークスではレコードタイムでの勝利を果たしたが、最内を突いた際にラチ(柵)にぶつかってしまった〔成沢(1997)pp.18〕ことによる左後脚の繋靱帯断裂が競走後に判明し、競走能力喪失と診断されそのまま引退した〔。
騎手を務めた小島太は「無事なら三冠馬になったかもしれないだけに大ショックだった〔」と述べている。なお、2戦目のりんどう賞で破ったメリーナイスが同年朝日杯3歳ステークスを制して3歳王者となり、翌年には日本ダービーに優勝。3戦目の府中3歳ステークスで破ったマティリアルも翌年のスプリングステークスを制し皐月賞と日本ダービーでそれぞれ1番人気に支持された。また小島は同期馬でクラシック二冠を制するサクラスターオーにもデビュー3戦で騎乗していたが、同馬について「ロータリー以上とは言わないけど」手応えを感じていた、としている〔小島(1991)pp.85-86〕。
種牡馬入りに際しては「未完の大器」といった惹句が用いられ、初年度には57頭と交配〔『競馬名馬読本』pp.88-89〕。その産駒が好評だったことから2年目には国内最多の104頭、3年目には輸入種牡馬リアルシャダイに次ぎ、国産種牡馬でトップの93頭と交配するなど高い人気を誇った〔。しかし中央競馬でオープンクラスまで昇ったのは5勝を挙げたアプローズシチーと若駒ステークス(オープン特別競走)に勝ったサンエイキッドのみで重賞勝利馬はなし、地方競馬では北関東を中心に通算40勝、うち重賞11勝という成績を挙げたイヴニングスキーを出したが、他に重賞勝利馬は出なかった。しかし中央競馬4勝のマイネルスマイルが後継種牡馬となっており、その血統はトウショウボーイ系の最後のサイアーライン(父系)として存続している(後述)。
2001年7月16日に種牡馬から用途変更ジャパン・スタッドブック・インターナショナルの本馬項目より(要ログイン)〕、以後は引退馬を支援する「ノーザンディクテイターの会」の援助を受け、北海道静内町の天羽禮治牧場で余生を送った。2013年12月、老衰により29歳で死亡〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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