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マイリンダ・ケルメンディ(Majlinda Kelmendi 1991年5月9日- )はコソボのペヤ出身の柔道選手。階級は52kg級〔Majlinda Kelmendi Biography and Olympic Results 〕〔profile 〕。2段〔KELMENDI Majlinda's multimedia info and results 〕。 ==経歴== 柔道は8歳の時に始めた〔〔Kosovo: Majlinda, the judo star balcanicaucaso.org 2010年5月20日〕。コーチのドリトン・クカによる指導の下、ヨーロッパにおけるジュニアの国際大会では頻繁にメダルを獲得するなど力を付けていった。2009年には世界ジュニアで優勝を成し遂げるまでになった。この時の表彰式ではIJFの旗が掲揚されたものの、国際スポーツ大会の場において初めてコソボの国歌が流れた〔コソボの柔ちゃん Majlinda Kelmendi 日本コソボ友好協会〕〔The Olympics Interview: Majlinda Kelmendi 〕。 2010年にはシニアの国際大会であるグランプリ・チュニスでも優勝した。世界選手権にも出場するが、そこでは3回戦で敗れた。その直後、ヨーロッパジュニア選手権で2連覇を達成するが、世界ジュニアでは5位に終わり、こちらは2連覇ならなかった。現在は地元のIppon Judo Clubでトレーニングを積みながら国際大会を転戦している〔。 2011年8月の世界選手権では2回戦で敗れるが、10月には国際大会で3大会連続優勝を果たした〔Majlinda Kelmendi shkëlqen në xhudo në Abu Dabi lajmifundit 2011年10月17日〕。 コソボオリンピック委員会(OCK)がまだIOCのメンバーとして承認されていないために、IJF主催の国際大会ではIJF、それ以外の国際大会ではアルバニアの名の下に参加している〔Senior European Cup Ranking available EJU 2010年11月16日〕。 国際大会で結果を出してきたことにより、アゼルバイジャンを始めとしたいくつかの国から大金を積まれて国籍変更を打診されたが、何よりもコソボ代表での出場を望んだために拒絶した〔London 2012: Kosovo's favourite child Majlinda Kelmendi BBC 2011年12月16日〕。 2012年4月にはIJFがコソボの加盟を認めた〔The Kosovo Judo Federation was accepted as full member of the International Judo Federation 〕。 しかしながら、5月にIOCはケルメンディに対して、コソボ代表ないしは個人参加でのオリンピック出場は認められないので、コソボとともに市民権を有するアルバニア代表として出場するようにと伝えた。ケルメンディはコソボ以外にもアルバニアのパスポートも所有している関係からアルバニア代表として国際大会に出場した経験があり、IOCがアルバニアに支給したオリンピック奨学金を貰い、さらには、アルバニアオリンピック委員会もすでにケルメンディをアルバニア代表として選出している状況下では、IOCの名の下での個人参加ではなく、アルバニア代表として出場することが適切であるとIOC会長であるジャック・ロゲは語った。これにより、ロンドンオリンピックにはアルバニア代表として出場することとなった〔IOC tell Kosovo judoka Majlinda Kelmendi she can compete only for Albania in London Olympics ワシントンポスト 2012年5月24日〕〔London 2012: Judoka's Kosovo Olympic bid turned down BBC 2012年5月25日〕。 7月のロンドンオリンピックでは3回戦でモーリシャスのクリスチャンヌ・ルジョンティに一本負けを喫して9位に終わった〔。10月のグランプリ・アブダビでは国際大会において初めてコソボ代表としての出場が認められて、今大会2連覇を達成した〔Europe takes 9 titles and 24 medals at Grand Prix Abu Dhabi 〕。 2013年5月にはランキング上位選手で競われるワールドマスターズで優勝を飾った。8月にリオデジャネイロで開催された世界選手権では、準決勝で橋本優貴に指導2で勝つと、決勝では地元ブラジルのエリカ・ミランダを合技で破り優勝を飾った〔 時事通信 2013年8月28日〕〔World Championships, Rio 2013 DAY 2 〕。 2014年には2月のグランドスラム・パリと4月のヨーロッパ選手権で優勝を飾った。8月にロシアで開催された世界選手権では、ロシアがコソボ市民への入国査証発給を拒否している関係からアルバニアのパスポートで入国して、IJF名義で戦うことになった。その決勝ではルーマニアのアンドレア・キトゥを技ありで破って2連覇を達成した。なお、表彰式ではIJFの旗が掲揚されて、オリンピック賛歌が流れることになった〔 時事通信 2014年8月27日〕〔Majlinda Kelmendi, kampione bote! 〕〔Championships, Chelyabinsk 2014 〕。10月にIOCはコソボ・オリンピック委員会を仮承認すると、12月には正式に承認した。これにより、2016年のリオデジャネイロオリンピックにコソボ代表で出場することが可能となった〔 産経新聞 2014年10月23日〕〔to compete at 2016 Olympics in Rio 〕〔Kelmendi fights for Kosovo recognition 〕。2014年の最終ランキングにおいて女子の全階級の選手でもっともポイントが多かったことから、IJFより5万ドルを贈呈された〔and Tchrikishvili crowned IJF Prestige World Ranking List winners 〕。さらには、コソボ大統領のアティフェテ・ヤヒヤガから大統領功労勲章が授与された〔Kelmendi dekorohet me Medaljen Presidenciale të Meritave 〕。 2015年は3連覇がかかっていた8月の世界選手権にはケガのため出場しなかった。9月のヨーロッパカップ・ブラティスラバでは約10ヶ月ぶりとなる個人戦での復帰戦を優勝で飾った。10月のヨーロッパオープン・リスボンでは、決勝でトレーニングパートナーでもある同じコソボのディストリア・クラスニキを指導3で破って優勝した〔and Tchrikishvili crowned IJF Prestige World Ranking List winners 〕。続くグランドスラム・パリでも優勝した〔Grand Slam 2015, France - DAY 1 〕。グランドスラム・アブダビでは準決勝でミランダに送襟絞で敗れて3位に終わり、2013年4月のヨーロッパ選手権以来2年半ぶりの敗戦を喫することとなった〔Dhabi Grand Slam 2015, U.A.E - DAY 1 〕。 IJF世界ランキングは2300ポイント獲得で3位(16/2/8現在)〔World ranking list 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイリンダ・ケルメンディ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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