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マウゴジャータ・ディデック : ミニ英和和英辞書
マウゴジャータ・ディデック[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ジャー : [じゃー]
 【名詞】 1. jar 2. (n) jar
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マウゴジャータ・ディデック : ウィキペディア日本語版
マウゴジャータ・ディデック[ちょうおん]

マウゴジャータ・ディデック(''Małgorzata Dydek'', 1974年4月28日 - 2011年5月27日)は、ポーランドポズナニ出身の女子バスケットボール選手。WNBAロサンゼルス・スパークスに所属し、女子バスケットボール選手の中でも史上最長身の「218cm」を誇る選手として知られた。
== 経歴・人物 ==
ポーランド出身の女子バスケットボール選手として、現在に至るまで最も顕著な成績を挙げた選手である。ポーランド語読みが難しいことから、アメリカでは“Margo Dydek”(マルゴ・ディデック)と呼ばれることが多い。ポジションはセンターである。2000年シドニー五輪および2001年2003年のヨーロッパ女子選手権ポーランド代表選手に選ばれた。
マウゴジャータ・ディデックは生まれた時から「身長55cm」と長身の赤ん坊だったという。12歳からバスケットボールを始め、1992年からプロの女子バスケットボール選手となった。最初はポーランド国内、フランススペインのチームでプレーしていた。1998年5月に初めてアメリカへ渡り、WNBAのドラフト前キャンプに参加した。1999年からWNBAの選手となり、「ユタ・スターズ」にドラフト1位指名で入団する。このチームは2003年からテキサス州に移って「サンアントニオ・シルバースターズ」という名称に変更された。2005年のシーズンオフで、ディデックはサンアントニオ・シルバースターズからトレードされ、コネティカット・サンに移籍した。2008年からはロサンゼルス・スパークスに移籍し、2010年シーズンまで在籍した。
WNBAでは2006年シーズンまでのディデックの生涯通算ブロック数は811本で、現在リーグ歴代1位。シーズンごとの平均ブロック数も、新人だった1998年から2003年まで連続でリーグ首位、2005年と2006年にも1位をマークした。2001年のオーランド・ミラクル戦で12得点、11リバウンド、10ブロックと3つのカテゴリで2桁をあげ、WNBA史上2度目のトリプルダブルを達成した。ブロックのほか、ディデックは多くのシーズンでフィールドゴール成功率、フリースロー成功率、平均リバウンド数でリーグ上位10内に入っており、安定した活躍を見せていた。
WNBAはヨーロッパのリーグと重ならない場合が多いため、ディデックはWNBAのオフシーズンにポーランドのチームでプレーすることもあった。2001年にポーランド・リーグの決勝でMVPに選出され、2000年にはポーランドの「最優秀女子スポーツ選手」に選ばれた。
2011年5月27日、オーストラリアブリスベーンに構えていた自宅にて心臓発作を起こし、搬送先の病院で死亡が確認された〔Margo Dydek, Towering Women’s Basketball Center, Dies at 37 ニューヨーク・タイムズ 2011年5月27日閲覧〕。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マウゴジャータ・ディデック」の詳細全文を読む




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