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マウルブロン修道院は、ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州に残る中世の修道院である。ヨーロッパに残る中世のシトー会修道院の中でも、付属する建造物群も含めた総体が、最もよく保存されている。マウルブロンの町外れにあるが、町とは城壁で隔絶されている。 修道院の設立は1147年のことであり、設立に際しては初のシトー会派ローマ教皇であったエウゲニウス3世の後援を受けた。ロマネスク様式からゴシック様式への移行的な様式で建てられた付属教会は、1178年にシュパイアー司教のアルノルトの手で献堂が行われた。診療所、食堂、貯蔵室、総会室、玄関、南の回廊、ホール、鍛冶場、宿泊所、桶工場、製粉所、礼拝堂といった様々な建物は、13世紀中に建てられていった。北、西、東の回廊は、最も要塞化が行われていた14世紀のものである。 宗教改革の開始後、ヴュルテンベルク公は1504年に修道院を占拠して狩猟小屋を立て、そこにとどまった。半世紀の後、修道院は、今日「マウルブロンとブラウボイレンの福音主義神学校」(Evangelical Seminaries of Maulbronn and Blaubeuren)として知られるプロテスタントの神学校に明け渡され、それ以降はその神学校が占拠していた。プロテスタントの牧師たちは、自分たちのニーズに合わせて、食堂を再建するなどした。 == ヘッセとマウルブロン == この修道院は、ノーベル文学賞受賞作家ヘルマン・ヘッセの自伝的な小説『車輪の下』の舞台としても知られている。『車輪の下』では主人公ハンスがマウルブロン修道院に併設されていた神学校に通うが、ヘッセ自身、マウルブロンの神学校に通っていた時期があった。 マウルブロン修道院は、ヘッセの他の作品にも垣間見える。『ナルチスとゴルトムント』(日本では『知と愛』という訳題でも出版された)には「マリアブロン修道院」という変名で出てくるし、『ガラス玉演戯』に出てくる宗教団体もマウルブロンを暗示したものとも指摘されている〔高橋健二訳『車輪の下』新潮文庫、所収の訳者解説による(p.226)。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マウルブロン修道院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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