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マウレン・イーガ・マギ(Maurren Higa Maggi、1976年6月25日 - )は、ブラジルの女子陸上競技選手。2008年北京オリンピック女子走幅跳の金メダリストである。サンパウロ州サンカルロス出身。 == 経歴 == マギは、走幅跳、100mハードルを専門とする選手である。1997年に、南米選手権の走幅跳を制し、100mハードルでは2位となる。1999年の南米選手権では、この両種目で2冠を達成。このときの走幅跳の優勝記録7m26は現在でも南米レコードとなっている〔Long Jump Records -IAAF.org 〕。また、同年のパンアメリカン競技大会でも走幅跳で優勝し、100mハードルでも2位となっている。しかし、8月に行われた世界選手権は走幅跳で6m68で8位、100mハードルは二次予選で敗退した。 2000年に初めて出場したオリンピックでは走幅跳に出場したが、けがのため6m35しか跳べず予選敗退となった。しかし、2001年の南米選手権では2年前と同じく2冠を達成。このときの100mハードルの優勝記録12秒71は現在でも南米レコードとなっている〔100 Metres Hurdles Records -IAAF.org 〕。また、同年のユニバーシアードでも走幅跳で金、100mハードルで銀メダルを獲得した。 また、このほかにも2000年、2002年のイベロ・アメリカン選手権の走幅跳で2連覇。2003年の世界室内陸上選手権の走幅跳で銅メダルを獲得。同年には三段跳で14m53の南米新記録を樹立した。 ところが、2003年6月に行われたドーピングテストで、マギから筋肉増強剤が検出された。マギは治療用の軟膏によるものと主張したが、国際陸連はマギに対し2年間の出場停止を言い渡した。しかし、マギはこの間に、FIドライバーのアントニオ・ピッツォニアと結婚し妊娠。2004年12月には娘を出産した。 出場停止が解け、マギは2006年から競技に復帰。2006年の南米選手権、2007年のパンアメリカン競技大会の走幅跳と連勝。同年の大阪の世界選手権では6位に終わったものの、2008年の世界室内選手権では6m89の室内南米新記録で銀メダルを獲得した。 2008年には2大会ぶりとなる北京オリンピックに出場。1回目に7m04の跳躍を行いトップに立つと、この記録に追いつく選手はおらず、最終跳躍で、前回アテネ大会の金メダリストのロシアのタチアナ・レベデワに7m03と1cmまで追い上げられたものの、マギの金メダルが確定した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マウレン・マギ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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