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マキシム・サボジン ( リダイレクト:マキシム・ザボジン ) : ウィキペディア日本語版
マキシム・ザボジン

マキシム・イゴーレヴィチ・ザボジン(, , 1985年3月2日 - )は、ロシア出身、アメリカハンガリー男性フィギュアスケート(アイスダンス)選手。パートナーはホフマン・ノーラモーガン・マシューズ
2010年バンクーバーオリンピックアイスダンスハンガリー代表。2005年世界ジュニア選手権優勝。
== 経歴 ==
ロシアモスクワに生まれる。両親は旧ソビエト連邦のアイスダンス代表であったエレーナ・ガラニナとイーゴル・ザボジン。4歳のときにスケートを始めるが、両親がプロのアイスダンサーとして各国を周る活動を続けたために7歳のときにスケートをやめ社交ダンスの世界へ入る。13歳のときに再びスケートの道へ進んだ。
ステファニー・エリスとのカップルを経て2001年にモーガン・マシューズとカップルを結成、2002-2003シーズンからISUジュニアグランプリに参戦を果たした。翌2003-2004シーズンにはJGPクロアチア杯で初優勝を飾り、初進出のJGPファイナルおよび世界ジュニア選手権で3位となり頭角を現した。翌2004-2005シーズンはJGPファイナルと世界ジュニア選手権で優勝し、ジュニアタイトルを総なめする。
2005-2006シーズンからシニアクラスに完全転向し、グランプリシリーズに参戦を果たした。また、2005年末にはアメリカ市民権を取得しトリノオリンピックを目指すが全米選手権で4位に止まり、トリノオリンピック代表には選出されなかった。四大陸選手権で2位となるが、初出場となる世界選手権では16位に終わる。
2006-2007シーズン終了後、マシューズとのカップルを解消。2008年にハンガリーホフマン・ノーラとカップルを結成。ハンガリー所属として2009年欧州選手権に出場したがオリジナルダンス終了後に棄権、翌年のバンクーバーオリンピック出場枠がかかった世界選手権への出場も見送った。
2009-2010シーズンは、前シーズンの実績が足りないためグランプリシリーズへの招待がなく、その他の国際競技会への出場が続いた。獲得できなかったオリンピック出場枠を最終予選会であるネーベルホルン杯で7位に入り獲得したことを皮切りに、以降の競技会では優勝を重ねた。欧州選手権で10位の成績を上げた直後の2010年1月25日にはオリンピック出場要件となるハンガリー市民権を認められた〔http://www.moksz.hu/jegtanc/hirek/100125.html〕。
2010-2011シーズン、ロステレコム杯でグランプリシリーズで初のメダルを獲得。初出場のグランプリファイナルでは6位だった。欧州選手権ではミスが続き8位。3月30日、ホフマンが病気のために入院をし、世界選手権は欠場した〔Elbagatellizálta Hoffmann betegségét a korcsolyaszövetség 〕。
その後、試合に復帰することはなく現役を引退。地元のモスクワでコーチに転身した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Maxim Zavozin 」があります。




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